3月2日 かくこそありしか往時のもののふ

莫如日本(日本に如くは莫し)(「仁学」)

昨日、あまりにも眠くてコメントするのを忘れていたのですが、江戸時代、ソバの好きなやつは、少な目のやつの六倍食べる、という記述がありました。0.8✕6倍だと五人前ぐらいか。味わったりせずに満腹感感じる前に食べるしかないが、できないことではないであろう。日本食ならソバですが、さて、今日のお題、何が日本以上のものはない、なのでしょうか?

食べ物のことなら、日本はコメも美味い。しかしギョウザ、カレーなどは他文化から学んだのである。

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清末、十九世紀のチャイナ人(華人)は、成功を夢見てはいけない。まずは立ち上がることからだ。

華人慎毋言華盛頓拿破侖矣。志士仁人求為陳勝楊玄感、以供聖人之駆除、死無憾焉。

しかし、今はまだ陳勝や楊玄感のように挙兵するまでには至っていないかも知れない。

若其機無可乗、則莫若為任侠。亦足以伸民気、倡勇敢之風、是亦撥乱之具也。

「撥乱」(はつらん)は「乱を撥(おさ)める」の意です。「乱を発する」ではありません。「春秋公羊伝」哀公十四年、伝の最後に「春秋」全体を評価する一文があります。

君子曷為為春秋。

撥乱世、反諸正、莫近諸春秋。則未知其為是与。

「撥」は弦を撥ねる、が原義ですが、乱れたものに対しては「撥ね返す」ことによって治まった正しい状態に戻す、の意味になります。なお、二回出て来る「諸」(しょ)は、いずれも「之於」(しお)を一語に縮めたもので、前者は「これを・・・に」、後者は「これ・・・より」と読みます。「於」に「における」と「より」の義があるからです。

この前後、無茶苦茶かっこいい文章なので一度探して読んでみてください。早く読んでみないと肝冷斎が紹介してしまうかも知れませんよ。

閑話休題。

歴史的にみると、漢がはじめ恐れていた匈奴を、最終的に漠北の地に追いやることに成功したのは、その社会に任侠の風が盛んだった(「史記」「漢書」のそれぞれ「游侠伝」を参照せよ)からだ。次に地理的に考えると、

与中国最近而亟当傚法者、莫如日本。其変法自強之効、亦由其俗好帯剣行游、悲歌叱咤、挟其殺人報仇之侠気、出而鼓更化之機也。

なるほど。これが日本のいいところだったんですね。任侠先進国だったのです。

儒者軽詆游侠、便比之匪人。烏知困於君権之世、非此益無以自振抜、民乃益愚弱而窳敗。言治者不可不察也。

「窳」(ゆ)は、歪む、弱る。

儒者どもにわかるはずありません。

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清・譚嗣同「仁学」二・三十四章より。最近「仁学」からの引用が多いんですが、この本を目を皿のようにして読んでいるわけではありません。他の本同様、ふんふん、ほうほうと拾い読みしてて、「お、これいいじゃん」という部分に出くわしたというだけなんです。おそらく、譚氏は科挙ではなく捐官(おカネを出して官職を買うこと)を以て身を立てた人なので、科挙官僚たちみたいに難しい文章を書かないので、わたしのような異国の不学の民にも表現がわかりやすいから、ではないか、と思います。褒めてるんですよ。

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