開鎖風板(風板を開鎖す)(「水東日記」)
天下に恥をさらしてはいけません。

ヘビは自分のおならを嗅いだりするのだろうか。
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明のころ、本を印刷して刊行することを「開板」と言ったそうです。
章某というひとが、自分の詩集を刊行し、早速、翰林院にいた陳登という人のところに贈呈しに来た。
陳登は最初の数篇を眉根を寄せて真剣に読んでいたが、やがて章に向かって言った、
昔西江士有偕友宿舟中者。
昔、西江の士に、友と舟中に宿れる者有り。
「以前、江西地方の紳士が、友人と一緒に乗合船に泊まって旅行したそうなんですよ」
「はあ」
「その時、こういうことがあったそうなんです・・・。
中夜起開鎖風板。
中夜起きて、風板を開鎖せんとす。
真夜中ごろに起き出して、風よけに閉めてある窓の板の留め金を外して、窓を開けようとした。
同じ船室に寝ていた友人が、
夜寒何得開板。
夜寒きに何ぞ開板を得るや。
「夜中で寒いのに、どうして窓の板を開こうとするのだ?」
と止めさせようとした。
すると、その紳士は答えた、
偶気洩。恐薫及吾友耳。
たまたま気洩せり。吾が友に薫じ及ばんことを恐るのみ。
「実はへをこいてしまったんだ。わが友たるおまえさんに臭い思いをさせてはいかん、と思ったわけなんだよ」
友人は言ったそうだ、
不開板、薫止於我。開板則薫及多人矣。気洩自気洩、奚以開板為。
開板せずんば、薫ずること我に止まる。開板すれば、薫ずること多くの人に及ぶ。気洩するは自ずから気洩するなり、なんぞ以て開板せんか。
「開板しなければ、臭いにおいはおれに臭うだけだ。開板してしまったら、臭いにおいは多くの人にまで広がってしまうんだぞ。そりゃ、「へ」をこいたらもちろん「へ」は出るだろう。しかし、どうして開板してしまうのか」
そして、章の方をじろりと見て、また言った。
「「へ」をこくのはしようがありませんが、それを「開板」して多くの人にいやな思いをさせては、いけませんわなあ」
と。
もちろん、「へ」を「拙い詩」に、「窓の板を開く」を「印刷する」に引っ掛けてあるのである。
章某は、
頗銜之。
すこぶるこれを銜(ふく)めり。
たいへんこのことを恨みに思った。
その後、翰林院に差出人不明の当書があり、陳登の日頃の行いが暴露されて、きつい懲罰を受けることになってしまった。
・・・と、臨海の陳璲先生に教えてもらいました。
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明・葉盛「水東日記」巻七より。うっしっし。勉強になりますね。しかも最後は人から聞いた話だ、と突き放すとは、見事なものです。
今度知り合いが書いたものを雑誌に発表するらしいんです。「へ」を世間のみなさまに嗅がせようというのだ、どんなお咎めを受けることになるのか、心配で心配でなりません。これも地域の「へ」のことと考えれば微笑ましい。