我誠自愧(我、誠に自ら愧ず)(「宋稗類鈔」)
いろいろ申し訳ないので、これからはこんな感じでいこうと思います。

リバイアサンの画が無いかと思って探したが、サンマの画しかありませんでした。
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宋の羅可は、湖南・沙陽の儒者である。
性度寛宏、詞学瞻麗。
性度寛宏にして、詞学麗なるを瞻る。
性格は寛大で度量広く、詩と学問はなかなかのものがあった。
一度、郷里の推薦を受けて都・開封の太学に学んだことがあるが、
見黜于礼部、遂不復進取。疏放自適、郷人共以師礼事焉。
礼部に黜ぞけられ、遂にまた進取せず。疏放自適すれども、郷人ともに師礼を以て事(つか)う。
太学を所管する礼部の役人から嫌われて、もう二度と官位にはつこうとしなかった。大まかで開放的に自由気ままに暮らしていたが、郷里のひとたちはみんなで、先生として敬って付き合っていた。
あるとき、
有窃刈其園中蔬者、可適見、因躡足伏草間避之、以俟其去。
その園中の蔬を窃刈(せつがい)する者有るに、可、たまたま見、因りて足を躡みて草間に伏してこれを避け、以てその去るを俟つ。
彼の野菜畑の野菜を盗み取ろうとしているやつがいたのだが、羅可はたまたま通りかかってその現場を見てしまい、足音を立てないようにその場でしゃがみこみ、草の間に横になって見つからないようにして、そいつがいなくなるのを待っていた。
いなくなって、やっと草の間から出て来て家に帰って行った。
たまたまその一部始終を見ていた人がいて、その寛大さがうわさになってしまった。
また、
有攘殺其鶏者、可乃携壺就之。其人慚悚伏罪。
その鶏を攘殺する者有るに、可、すなわち壺を携えてこれに就く。その人、慚悚して罪に伏さんとす。
「攘」(ジョウ)は「はらう」の他に「ぬすむ」の訓があります。
彼のニワトリを盗んで殺したやつがいたが、羅可はすぐに酒壺を引っ提げて鳥小屋のところに行った。その人、見つかってしまって、申し訳なく、かつ恐れて正直に罪を告白した。
「いやいや」
羅可は、
可執其手曰、与子幸同閭里、不能烹鶏以待子、我誠自愧。
その手を執りて曰く、「子と幸いに閭里を同じうするに、鶏をて以て子を待つ能わず、我誠に自ら愧ず」と。
相手を手を摑むと言った、「幸いなことにおまえさんと同じ里に住んでいたが、今日までニワトリをつぶしておまえさんを(ホームパーティに)招待することができてなかった。わしは本当に申し訳ないと思う」と。
ニワトリ泥棒のおかげで酒が飲めるぞ、と考えたのではなかろうか。そして、
設席、呼其妻奴環坐、尽酔而帰。
席を設けて、その妻奴を呼びて環坐して、酔いを尽くして帰る。
その場に宴席を広げ、女房や下男下女たちを呼んで給仕させ、車座になり、酔っぱらってから家に帰った。
人由是相誡無犯。
人、これにより相誡しめて、犯す無し。
ひとびとは、このことがあってからは、互いに「羅先生を困らせてはならんぞ」と言い合って、迷惑をかけることがなかった。
かっこいい。詩もいいのがあるんですが、今日は省略。
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清・潘永因編「宋稗類鈔」巻三「厚徳篇」より。かっこいいので真似しようと思います。畑もニワトリ小屋もないが、資本主義的な財産を棄てて、自由な個人に戻ればなんとかなると思うんです。だが、
うわーーーーー!!!!
と、リヴァイアサンに吞み込まれてしまうかも。そんな凄いものではなくて、トランプさんかも知れません。