3月16日 暖かくなって虫も出てきた

時議不帰(時議帰せず)(「猗覚寮雑記」)

今日は暖かかったですね。失敗もありましたが基本的にいい日だったので、今日はタメになる歴史的なお話をいたしましょう。

「人類の星の時間」にふさわしいのはどちらかな?

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唐・玄宗の開元二十四年(736)、玄宗皇帝は治政に格段の成果を挙げた河西節度使・牛仙客を閣僚クラスの尚書に抜擢した。これに対して、時の宰相、曲江・張九齢は彼が大局を見ない事を批判して反対したが、

明皇乃用以為宰相。

周囲が驚いたことに、張九齢の方を左遷してしまった。

ところが、

既用之後、知時議不帰、乗間聞高力士。

高力士は宦官とはいえ子どもがいた(施術が失敗だったのだろうと推測されている)し、いい進言もするし、(李白のような)怪しからんやつは讒言するし、楊貴妃を殺さないといけなくなったときには、後で主君に恨まれるのを承知で自らコロしてくれたりもする有能で便利で剛腹なやつです。

(気にしてないようなふりをするなど、見え透いてるんですけどね・・・)

と思いながらだと思いますが、

力士曰、仙客本胥史、非宰相器。

これが当時の世論であった。これに対して、

帝忿然曰、朕将用。蓋恚言也。

また、

方帝欲相崔隠甫也、謂隠甫曰、牛仙客可与語、卿嘗見否。

これは崔隠甫に対して、大臣にしてやるから、仙客と会って来い、と言っているんです。なお、唐の宰相は複数制です。牛仙客よりも先に李林甫が任命されていて、仙客は李林甫の思惑どおりに動いていた。そこに三人目の宰相を置こうとしたのである。

崔隠甫は答えて言った、

未也。

帝は言った、

可見之。

「そうですか」

と答えたまま、

隠甫終不詣。他日又問、対如初。帝乃不用。

ああ。

明皇逐張曲江而用仙客、一時褊忿猶可恕。既相之而知不為人所与。又恐天下皆欺己、且問力士其素所親信者、力士亦不以為然。及両語隠甫、而隠甫寧不相、不肯一見仙客。

このように三つの意見がしめされていたのである。

可以悟不悟、唐之治乱自此方分。

世界史の中に何度か起こる、短い時間のうちに、後で振り返ってみたら歴史が大きく動いていた、という瞬間、これをシュテファン・ツバイクは「人類の星の時間」と呼び、その「星の時間」を動かすのは、たいていの場合、その時以外には何の役にも立たなかった「くだらない人間」である、という法則を指摘しています。が、まさにその時間だったのかも知れません。

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宋・朱翌「猗覚寮雑記」より。でもこういう人いないと組織は持ちません。役に立ってそうに見えない人は組織に必要であり、役に立ってそうにもない人のいない組織は、それこそ危うい・・・と民衆歴史哲学者・肝冷斎は主張しているようです。

ちなみに、昔のチャイナのお話を「教訓」として読みたい時は、「君主」とか「帝」はすべて「主権の存する国民」と読み替えるといいと思います。まあそんなにお勧めはしませんが。思ったとおりにはできないもどかしい主権者である点も含めて、実にぴったりくると思いますよ。

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