時議不帰(時議帰せず)(「猗覚寮雑記」)
今日は暖かかったですね。失敗もありましたが基本的にいい日だったので、今日はタメになる歴史的なお話をいたしましょう。

「人類の星の時間」にふさわしいのはどちらかな?
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唐・玄宗の開元二十四年(736)、玄宗皇帝は治政に格段の成果を挙げた河西節度使・牛仙客を閣僚クラスの尚書に抜擢した。これに対して、時の宰相、曲江・張九齢は彼が大局を見ない事を批判して反対したが、
明皇乃用以為宰相。
明皇すなわち用いて以て宰相と為す。
玄宗皇帝はそのまま任用して、宰相クラスの待遇とした。
周囲が驚いたことに、張九齢の方を左遷してしまった。
ところが、
既用之後、知時議不帰、乗間聞高力士。
既に用うるの後、時議の帰せざるを知り、間に乗じて高力士に問う。
任命後に、どうやら世論がそれを評価していないらしいことに気づいて、ヒマな時に(あまり気にしていない風なふりをして)側近宦官の高力士にどうなのか訊いてみた。
高力士は宦官とはいえ子どもがいた(施術が失敗だったのだろうと推測されている)し、いい進言もするし、(李白のような)怪しからんやつは讒言するし、楊貴妃を殺さないといけなくなったときには、後で主君に恨まれるのを承知で自らコロしてくれたりもする有能で便利で剛腹なやつです。
(気にしてないようなふりをするなど、見え透いてるんですけどね・・・)
と思いながらだと思いますが、
力士曰、仙客本胥史、非宰相器。
力士曰く、仙客はもと胥史、宰相の器に非ず、と。
高力士は言った、「仙客ですか。あいつはもと下っ端役人です。宰相を務めるような器量はございません」と。
これが当時の世論であった。これに対して、
帝忿然曰、朕将用。蓋恚言也。
帝忿然として曰く、「朕の用いんとするなり」と。けだし恚言(いげん)なり。
帝は色をなして怒りながら言った、「わしが使おうと思っておるんじゃぞ!」と。お怒りの言葉であった。
また、
方帝欲相崔隠甫也、謂隠甫曰、牛仙客可与語、卿嘗見否。
まさに帝、崔隠甫を相にせんと欲するや、隠甫に謂いて曰く、「牛仙客はともに語るべきなり、卿、嘗て見(まみ)えしや否や」と。
帝がちょうど崔隠甫という人物を大臣にしようとしたときのこと、任命の前に、隠甫に言ったことには、「(現宰相の)牛仙客はともに政治を語る価値のあるやつじゃ。※おまえさんは、これまでに会ったことはあるかね?」と。
これは崔隠甫に対して、大臣にしてやるから、仙客と会って来い、と言っているんです。なお、唐の宰相は複数制です。牛仙客よりも先に李林甫が任命されていて、仙客は李林甫の思惑どおりに動いていた。そこに三人目の宰相を置こうとしたのである。
崔隠甫は答えて言った、
未也。
未だしなり。
「いや、お会いしたことはありません」
帝は言った、
可見之。
これに見みゆべし。
「会ってみた方がよいぞ」
「そうですか」
と答えたまま、
隠甫終不詣。他日又問、対如初。帝乃不用。
隠甫ついに詣でず。他日また問うも、対すること初めの如し。帝すなわち用いず。
崔隠甫はとうとう会いに行かなかった。しばらくしてから皇帝は隠甫に「会ってきたか」と聞いたが、※印以下の会話が繰り返されただけであった。そこで、帝は隠甫の宰相任命を見送った。
ああ。
明皇逐張曲江而用仙客、一時褊忿猶可恕。既相之而知不為人所与。又恐天下皆欺己、且問力士其素所親信者、力士亦不以為然。及両語隠甫、而隠甫寧不相、不肯一見仙客。
明皇、張曲江を逐いて仙客を用う、一時の褊忿はなお恕(ゆる)すべし。既にこれを相として人の与(くみ)せざることを知る。また天下のみな己を欺くを恐れて、まさに力士の、そのもとより親信するところの者に問うに、力士また以て然りと為さず。及び、隠甫と両語するも隠甫はむしろ相たらざるも、仙客を一見するを肯ぜず。
玄宗皇帝は曲江・張九齢を地方に追い出してまでも牛仙客を任用した。一時的な不公平な怒りであったが、そろは許容してもよいであろう。だが、
①仙客を大臣に任命した後、人々がそれに賛成していないらしいと知った。
②それでも、世間の人の意見の方が自分を誤まらせるのではないかと思って、側近で信用のおける高力士に質問し、高力士からも仙客任命の判断に否定的な返事をもらった。
③さらに、崔隠甫と二回会話したが、隠甫はたとえ宰相になれなくても、仙客なんかと会見などするか、という態度であった。
このように三つの意見がしめされていたのである。
可以悟不悟、唐之治乱自此方分。
以て悟るべくして悟らず、唐の治乱はこれよりまさに分じたり。
皇帝は、わかるはずのことがわからなかったのだ。唐の前半の治世と後半の乱世は、牛仙客の任命ということを境にして、分けることができるのである。
世界史の中に何度か起こる、短い時間のうちに、後で振り返ってみたら歴史が大きく動いていた、という瞬間、これをシュテファン・ツバイクは「人類の星の時間」と呼び、その「星の時間」を動かすのは、たいていの場合、その時以外には何の役にも立たなかった「くだらない人間」である、という法則を指摘しています。が、まさにその時間だったのかも知れません。
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宋・朱翌「猗覚寮雑記」より。でもこういう人いないと組織は持ちません。役に立ってそうに見えない人は組織に必要であり、役に立ってそうにもない人のいない組織は、それこそ危うい・・・と民衆歴史哲学者・肝冷斎は主張しているようです。
ちなみに、昔のチャイナのお話を「教訓」として読みたい時は、「君主」とか「帝」はすべて「主権の存する国民」と読み替えるといいと思います。まあそんなにお勧めはしませんが。思ったとおりにはできないもどかしい主権者である点も含めて、実にぴったりくると思いますよ。