3月15日 春先だが年中眠い眠すぎる

桀駕人車(桀は人車に駕す)(「後漢書」)

眠い。この文章も書きながら何度も眠る。

草食の美味いもの食わせないと怒ってくるぞ。

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若いころから五経を学んで

五経紛綸井大春。

と謳われた井丹、字・大春は後漢の扶風のひとである。たいへん高尚で滅多なことでは人と付き合わなかったので、名刺(当時は木製)を持っていなかったという。

光武帝の建武年間(25~57)の末、沛王をはじめとする五人の王は洛陽の北宮にいて、

皆好賓客、更遣請丹、不能致。

光武帝の陰皇后の弟、信陽侯・陰就は

以外戚貴盛、乃詭説五王、求銭千万、約能致丹、而別使人要劫之。

丹不得已、既至、就故為設麦飯葱葉之食、丹推去之。

以君侯能供甘旨、故来相過、何其薄乎。

しようがないので、

更置盛饌、乃食。

やがて、

及就起、左右進輦。

それを見て、

丹笑曰、吾聞桀駕人車。豈此邪。

大貴族を悪の王・桀と同一視したのだ。

坐中皆失色、就不得已而令去輦。

自是隠閉不関人事、以寿終。

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「後漢書」逸民列伝より。わしも君侯の食う飯を食ってみたいものだ。むかしは豪華な飯といえばカレーライスとカツ丼ぐらいしか知らなかったが、今ではステーキなども見たことはある。

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