3月15日 怨むひまだけはあるかも

何暇怨我乎(何の暇にか我を怨まんや)(「春冰室野乗」)

何も悪いことしてないのに、どこかで人に恨まれているかも知れないと心配な人に教えたい。

あなたは何も悪いことしてないから大丈夫だ! 

もちろん主観的には、ですが。

おいらなんにも悪いことしてないのに、あいつら勝手に引っかかってくるんでクモ。

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みなさんよくご存じの船山先生・張問陶が―――あ、そうか、もう現代でした。幕末明治のころじゃないんだ。あのころはわしも若かったなあ・・・えー、張船山は四川遂寧のひと、清・乾隆年間の進士、翰林院検討などばりばりの京官(中央省庁の役人)を長く務めた後、山東・莱州知事を以て退官、晩年は江南の好風景を愛して浙江に住み着き、嘉慶十九年(1814)に卒した。

書画妙一時。

書画は一時に妙なり。

その書と画は一時代をつくるほどもてはやされた。

また、詩人としても袁牧らの性霊派を継ぎ、その「船山詩草」は幕末に日本でも出版されて、大人気であった―――という「詩書画三絶」(詩と書と画の三分野で抜きん出ておられる大先生)と呼ばれる人。現代の人の多数はもう忘れてしまっているので、残念です。

「ハー〇ード経営スクールでは聴かなかったな」

「自己啓発に役に立つのかしら、もちろんわたしではなく部下の」

「でも我々新自由主義下の優れた人々はアートに格別の理解を示すからな、アーチストは尊重するよ」

「わははは」「おほほほ」「うふふふ」

待て、おまえらは一体なにものなのじゃ!

・・・と興奮してはいけません。おそらくは新自由主義社会に危惧を懐きつつ、時代の流れに取り残されてしまったわたしども肝冷斎一族の心の影の部分が形を成したものなのでしょう。

閑話休題。

張船山先生のことですが、政府の在り方を批判をする立場の御史の職にあるとき、

日連上三疏。

日に三疏を連上す。

一日に、三本の批判書を連続して上奏した。

それも、

一劾六部九卿、一劾天下各督撫、一劾河漕塩政。

一は六部九卿を劾し、一は天下の各督撫を劾し、一は河漕塩政を劾す。

一本目は、中央の六つの省、九つの高官の無責任体質を攻撃した。二本目は、各地の行政・軍事両方の長官たちの不公正を攻撃した。三本目で、運河の水運、塩の専売、すなわち徴税と現業部門の不公平と非効率を攻撃した。

官僚社会のほぼ全方面にケンカを売ったのです。それもかなり本質的な内容で。

ある人が心配して言った。

子不慮結怨中外乎。

子は中外に怨みを結ぶを慮らざるか。

「きみは、中央省庁からも地方官からも怨まれると心配しないのか。(彼らにもいろんな事情はあるというのに)」

船山先生は笑って答えた、

我所責難者、皆大臣名臣事業。其思為大臣名臣者、方且感我為達其意。

我が責難するところの者は、みな大臣・名臣の事業なり。それ、大臣・名臣為らんと思う者は、まさに我に感じてその意を達せん。

「わたしが問題にして攻撃しているのは、すべて偉大な政治家や名の有る官僚がなすであろう事業を基準にしているから、もし偉大な政治家や名の有る官僚となろうと思っている人は、わたしの意見に感心してわたしの思いを理解してくれるはずなんです。

若無意于此者、吾将其身分擡高至于如此、慚愧之不暇、又何暇怨我乎。

もしここに意無き者は、吾まさにその身分を将いて擡高いてかくの如きに至り、これを慚愧するに暇あらず、また何の暇にか我を怨まんや。

もしそんなこと考えてもいない低いレベルのやつがいたら、わたしがその人たちのレベルをこんな高いところまで持ち上げて批判していることに、恥ずかしさと申し訳なさを感じて他のことはやっていられないですよ。どんなひまがあってわたしを怨むことができるでしょうか。

わはははー」

世の中そんな立派な人たちばかりで構成されているわけではありませんので、結局、直後に莱州知事に出され、次いで職を逐われたのであった。

先生嘗画一鷹、題一断句。

先生、つねに一鷹を画くに、一断句を題す。

先生は、特にタカの画に評価が高いが、そのタカの画を描くごとに、一句を書きつけるのが常であった。

その句に曰く、

風動乍低頭、沈思撃何処。

風動けばたちまち頭(こうべ)を低うし、沈思す、何れの処を撃たんかを。

 タカは、空気が動いたのにきづくと(樹上で)頭を低くして、

 戦わねばならない敵がどこにいるのか、深く考えをめぐらすのだ。

と。

読此詩、可想見其風采矣。

この詩を読めば、その風采を想見すべし。

この詩句を読むと、(風流才子の表面に隠した)彼の風骨の在り方を、思いみることができるだろう。

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清・李岳瑞「春冰室野乗」より。先生は女性も愛する風流人ですが、強いものを攻撃する時はタカのようであったのだ。自分より弱いものを攻撃するときはタカになる・・・というような人は現代の優れた時代にはいない、と思いますので安心です。

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