3月15日 やっぱり解体すべきかもしれない匿名だと

古今一人(古今に一人なり)(「澠水燕談録」)

この人のような↓生き死にをしなければいけません。ほんとは。

さーたあんだーぎーはあぶらじわじわのところは確かに美味い。かといって太鼓の手を止めるほどではない。

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五代の時代、山東・営丘のひと李成は、

磊落不羈、喜酒善琴、好為歌詩、尤妙画山水。

後周(五代最後の王朝)の枢密使・王朴がこれと親しかった。王朴が招いて、一時期、開封に住んでいたが、王朴の死後、また郷里に帰った。

宋初の乾徳年間(963~968)、大司農(農業大臣)の衛融が山東の太守になったとき、

以郷里之旧、延之郡斎日、恣飲竟死于酒。

子どもの李覚がこの時、国子博士をしていたので、おやじの李成も官位を追贈されて、官立の墓地に葬られた。その時、翰林院にいた朱白が墓誌銘を書いている。

成画平遠寒林前人所未嘗為、気韻瀟洒、煙林清曠、筆勢穎脱、墨法精絶、高妙入神、古今一人、真画家百世師也。

と。以上、すばらしい人生でした。

さて、

翟院深、営丘伶人、師李成、山水頗得其体。

ある日、府(県庁)で宴会があり、

院深将撃鼓為節、忽停撾仰望、鼓声不続。

えらい人が出る宴会にこのような失態が起こってしまったのだ。ああ、たいへんなことである。

左右驚愕、太守召問之。

院深は答えて言った、

適楽作次、有孤雲横飛淡佇可愛、意欲図写、凝視久之、不知鼓声之失節也。

と。

太守笑而釈之。

伶人は官に属する奴隷階級ですから、太守さまは罰することもできれば許すこともできるのです。助かりました。

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宋・王辟之「澠水燕談録」巻七より。ああいい話だなあ、ああためになったなあ。え?どこがよくてどこがためになるかわからない? いや、すごくよくてすごくタメになるじゃないですか。見解の相違としか言いようがないですね。

昨日、確定申告しました。最後に税金払うのにクレジット払いというのを押したら、手数料こちらが払う仕組みでした。既に中小の飲食店や地方スーパーでキャッシュレスに逆行する動きが出ていますが、キャッシュレスの手数料、誰が持って行った? 持って行ったやつがわからないなら確かに「財務省解体」するしかない気がしてきました。毎日の食品に比べて一昨年と昨年の収入ほとんど変わってないし。なんだかだんだん追い込まれてきた感じがします。今はまだ本名の時はにこにこしていい人にしているのですが、ほんとに追い込まれたら・・・。

なお、王辟之は宋のひと、進士となって役人生活をしていましたが、老年に到って郷里の山東・澠水の地に帰って、百姓や漁師と「燕談」(打ち解けて楽しく話す)して聴いたこと、あるいは自分が話したことを記録したのが、「澠水燕談録」です。宋史や宋名臣言行録などのネタ本としても有名です。

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