代庖是不対(庖に代わるはこれ対せず)(「毛沢東選集」)
年齢的にも、はやく労働者階級から解放されてルンプロに戻らなければ・・・。

おれはどんな時代でも最左翼。
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1926年に湖南で決起した農民大衆の中には、党の指導によって村で祀る菩薩像を破壊した者がいたそうである。このため、一部の穏健な老百姓たちの中に、党の行き過ぎを批判する声があった。
これではいけない。
菩薩是農民立起来的、到了一定時期農民会用他們自己的隻手丟開這些菩薩。
菩薩はこれ農民の立起来のもの、一定時期の到了せば、農民会、他們(かれら)自己の隻手を用いてこの些の菩薩を丟開(ちゅうかい)せん。
「丟」(ちゅう)は「とり去る、とりのける」みたいな意味です。
ボサツは農民たちが作って立てたものである。そのうち時期が来たら、農民会が、自分たちの両手でこのようなボサツは片づけてしまうであろう。
無須旁人過早地代庖丟菩薩。
旁人の過早地に庖に代わりて菩薩を丟するをもちうる無かれ。
そばの人間(共産党の指導者)が、あまりに早すぎる行動で、「庖丁に代わって」ボサツを取り除ける必要は無いのである。
「庖に代わる」という言い方は、「越俎代庖」という熟語の一部で、「料理を提供される側の人間が、料理皿(俎=まないた)を乗り越えて、古代の名料理人であった庖丁(ほうてい)に代わって料理をする」、要するに権限や専門性の無い人間が仕事をすること、だそうです。おもしろい言い方ですね。
共産党対於這些東西的宣伝政策応当是、引而不発、躍如也。
共産党のこの些の東西に対するの宣伝政策は、まさに是くあるべし、「引きて発せず、躍如たり」。
共産党がこのような事態に対して行う宣伝工作は、ちょうどこうあるべきであろう、すなわち「(弓を)引き絞ったまま矢は放たず、飛び跳ねる」。
おそろしい〇産党の宣伝工作が書かれています。
どうあるべきなのか。
「引きて発せず、躍如」たるようにあるべきだ。
なんじゃ、それ。
「孟子」尽心上篇に曰く、
公孫丑が訊いた、「先生、教育の仕方はどうあるべきなんですか」
孟子曰、大匠不為拙工改廃縄墨、羿不為拙射変其彀率。
孟子曰く、大匠は拙工のために縄墨を改廃せず、羿は拙射のためにその彀率を変ぜず。
孟子先生がおっしゃるには、
「すごい大工は、下手な職人を教えるからといって墨や縄のマニュアルを(簡易に)改廃しはしない。弓の名手・羿(げい)は、下手な射手を教えるからといって弓を引き絞るのに求められる強さと的を簡単にしたりはしない。
彼らは、相手のレベルに合わせて教えるレベルを変えることはない。つまり、
君子引而不発、躍如也。中道而立、能者従之。
君子は引きて発せず、躍如とするなり。中道にして立ち、能者これに従う。
「朱子集注」に沿って読んでいますよ。
よきひと(師)は、弓を引き絞って矢を放たず、飛び上がるようにして(射る瞬間の形を)教える。困難なレベルでもなく簡易なレベルでもない、真ん中のレベルで教える。できる者はこれに従ってできるようになる」
と。
朱晦庵によれば、
此章言道有定体、教有成法、卑不可抗、高不可貶、語不能顕、黙不能蔵。
この章、道に定体有り、教に成法有り、卑(ひく)きも抗(あ)ぐるべからず、高きも貶(おと)すべからず、語るも顕らかにする能わず、黙するも蔵する能わざるを言えり。
この章が言っていることは、①物事のやり方(「道」)には定まった形があり、その教え方には決まった手法がある、ということ、②それは程度が低すぎると思ってもレベルを上げるわけにはいかず、高すぎても下げるわけにはいかないこと、そして、③教える内容を言葉にしようとしても明確にはできず、しかし言葉にしなくても伝わっていくものであること、の三点である。
なるほど勉強になりました。よしこれで終わり・・・とは行きません。孟子は終わりですが元の文には続きがあります。
菩薩要農民自己去丟、烈女祠、節孝坊要農民自己去摧毀、別人代庖是不対的。
菩薩は農民自己の去丟するを要し、烈女祠、節孝坊は農民自己の去りて摧毀するを要し、別人の庖に代わりて対せざるものなり。
ボサツは農民が自分たちで取り除かなければならない。貞節を守った女性を祀る祠、寡婦として義父母を養った女性の家への表彰、これらも農民が自分たちでぶっ壊して除かなければならない。よその人間が「庖丁に代わって俎を乗り越えて」対応するようなものではないのである。
我在郷裏也曾向農民宣伝破除迷信。我的説是。(中略)
我、郷裏に在りてまたかつて農民に向かいて迷信を破除せんことを宣伝す。我の説はこれなり。(中略)
わたしも、田舎にいて、以前やはり農民たちに向かって迷信の打破・取り除きを呼び掛けたことがある。わたしはその時こう言った・・・。
只要関聖帝君、観音大士、能足打倒土豪劣紳麼。那些帝君、大士們也可憐、敬了幾百年、一個土豪劣紳不曾替你們打倒。
「ただ関聖帝君、観音大士に要(もと)めて、よく土豪劣紳を打倒するに足るか。那些の帝君、大士們(ら)また憐れむべし、敬了せること幾百年、一個の土豪劣紳もかつて你們(なんじら)に替りて打倒せず。
ただただ、聖帝の関羽さまや、観音菩薩さまにお願いするだけで、土地のボスや卑劣な顔役たちを打倒することができるか。あのような関帝さまや菩薩さまたちも可哀そうなものだ、何百年も拝まれてきながら、ただ一人の地方ボスや顔役も、おまえたちの代わりに打倒してくれなかったではないか。
(くすくす笑い起こる。)
現在你們想減租。我請問你們有什麼法子。信神呀、還是信農民会。
現在、你們は減租を想わん。我、請問す、你們に什麼(しま)の法子有る。神を信ずるや、またこれ農民会を信ずるや。
いま、あんたがたは減税させようと思ってるんだろう? では、わたしは訊いてみるから答えてくれ。あんたがたにはどんな方法があるんだ? 神だのみをするのかね、あるいは農民会を頼るのか?」
どひゃっははははははは。(爆笑)
我這説話、説得農民都笑起来。
我這(こ)の説話せしに、説きて農民すべて笑起来するを得たり。
わたしがこの話をしたとき、話し終えたら、農民たちはみんな大笑いしたのであった。
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近人・毛沢東「湖南農民運動報告」(「毛沢東選集」所収)より。わかりやすくていい演説ではありませんか。なお、この文章は肝冷斎が見つけてきたのではなく、小野信爾さんという人が朝日新聞社「中国文明選15革命論集」(昭和47年3月)の中で摘録してくれている(読み下し・訳は肝冷斎)んです。この本はこの数年読んだ本の中で、五指に入るぐらいおもしろい。なにしろ、四人組はおろか林彪さえ失脚してない状態での編集・翻訳らしく、別の共同編者(吉田富夫さん)によれば、
プロレタリア文化大革命後、中国の人民は、林彪を「毛沢東同志の親密な戦友」と呼んだが、それは決して単なる誇張や権威づけなどではなく、歴史的に十分理由のあることなのである。
そうですが、すでに71年9月に林彪事件が発生しており、その後この人がどういろいろ説明とか弁護とか自己反省とか始末つけたか知りたい・・・止めておきます。われらも今、未来について何も知らぬまま「カネだけ今だけ自分だけ」と何たら手帳を振りかざして唱えているようなものであるから。