3月13日 同じく操る者が無ければ動けない

譬如木人(譬うれば木人の如し)(「山谷題跋」)

最近そこそこ忙しいんです。しかし、木偶人形のように何も考えずにいます。人間のように悩み、考え、自己主張するような権利も能力ももう無いみたいなので。

今日は都内某所で倉庫の中の仮面を見せていただく。人形や仮面は人間以上に感情を持つことがあるそうである。木偶人形のようなわしもそのうち暴発するかも。

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北宋の黄庭堅には弟があって、黄幼安といいます。

幼安弟、喜作草、携筆東西家、動輒龍蛇満壁。草聖之声、欲満江西。来求法于老夫。

わしも後世には「宋の四大書家」の一に数えられる草書の名人ではありますが、

老夫之書、本無法也。但観世間万縁、如蚊蚋聚散、未嘗一事横于胸中、故不択筆墨、遇紙則書、紙尽則已。

亦不計較巧拙与人之品藻譏弾、譬如木人。

木偶人形は、

舞中節拍、人嘆其巧、舞罷則又蕭然矣。

そんなふうに振る舞っているのである。

幼安然吾言乎。

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宋・黄庭堅「山谷題跋」巻五「書家弟幼安作草後」(家弟・幼安の草を作るの後に書す)。山谷先生が木偶人形を目指していたとは。木偶同士仲良くしたいもんです。

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