自作蘖(自ら蘖を作す)(「孟子」)
今日は関東地方では雨が降りましたが、
わが背子が衣はるさめふるごとに野べのみどりぞいろまさりける (貫之)
(わたしのだんなさまのころもを干して糊付けして張る―――「はる」雨が降るごとに、初春の野べの草がだんだん色づいてくるのですわ、わ、わ、♡)
若妻の夫を思うウキウキした気分を序詞に使って、そのまま初春のウキウキにつながる貫之先生畢生の名歌にもございますとおり、心うきうきする季節の春雨です。
明日はもっと暖かくなることでしょう。
ではさようなら・・・と寝ようとしたら、またすごい数の人が訪問してくれています。どこかの誰かが紹介してくれたのかなあ。いい人なんだろうなあ。わたしもいい人になるべく、今日は「四書五経」のどれかを読んでみましょう。
春先はこんなやつもご機嫌そうに飛びはじめることでしょう。
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孟子がおっしゃった、―――
不仁者可与言哉。安其危而利其菑、楽其所以亡者。不仁而可与言則何亡国敗家之有。
不仁なる者はともに言うべけんや。その危に安んじその菑(し)を利とし、その亡ぶ所以のものを楽しむ。不仁にしてともに言うべければ、何ぞ国を亡(うしな)い家を敗ることの有らんや。
ダメなやつと話をして理解させるのは無理だ。危険な状況なのにそこに安住し、災いが起こっているのに反ってそこから利益を得られると考え、滅んでしまう原因にうつつを抜かしている。ダメなやつともし話をして理解させることができたなら、どうして国を滅ぼしたり一族を破滅させたりすることがあろうか。(できないから国は滅び一族は破滅するのだ)
あいつらはわしのような賢者の言うことも聞こうとしないからな。
孟先生らしい少し鼻に着く言い回しで、ダメなやつは自分の所属する組織を滅ぼすぞ、と言っておられます。
さらにおっしゃった、―――むかしむかし、魯の国で、
有孺子歌。
孺子歌う有り。
こどもが歌っていた。
「孺子」は俳優(わざおぎ)のコビトの道化師みたいなやつの事ではないかと思うのですが、あまり話の都合には関係なさそうなので、そのまま「こども」と訳しておきます。
滄浪之水清兮可以灌我纓。滄浪之水濁兮可以濯我足。
滄浪の水清(す)まば以て我が纓を濯うべし。滄浪の水濁れば以て我が足を濯うべし。
滄浪(そうろう)川の水がきれいになったなら、おいらの衿を洗おうよ。
滄浪川の水が濁ってきたないなら、おいらは足を洗うぞよ。
この歌を聴いて、孔子が弟子たちにおっしゃったんじゃ。
小子聴之、清斯濯纓、濁斯濯足矣。自取之也。
小子これを聴け、清めばすなわち纓を濯い、濁ればすなわち足を濯う。自らこれを取るなり。
―――おまえたち、あの歌を聞いたか。きれいになったら衿を洗う、汚いなら足を洗う・・・。水の方がきれいかきたないか、で、何を洗ってもらうかが決まるのだ。水の方の責任なのだ。
と。
夫人必自侮、然後人侮之。家必自毀而後人毀之。国必自伐而後人伐之。
それ、人必ず自ら侮りて、しかる後に人これを侮るなり。家必ず自ら毀ちて、しかる後に人これを毀つなり。国必ず自ら伐ちて、しかる後に人これを伐つなり。
―――ああ。
人が軽侮されるとき、最初から軽侮されるのではない。必ず、自分で自分を軽侮に値するようにしてしまってから、人々に軽侮されるのだ。
家が壊されるとき、最初から壊されるのではない。必ず、自分で家を壊してしまってから、人々が集まってきて壊すのだ。
国が攻撃を受けるとき、最初から攻撃されるのではない。必ず、自分たちで攻撃されるような状態を作ってから、他国に攻められるのだ。
「書経」にもいうではないか。
太甲曰、天作蘖、猶可違。自作蘖、不可活。
太甲曰く、「天の蘖(げつ)を作すはなお違うべきなり。自らの蘖を作すは活するべからず」と。
太甲が言った、「天がわざわいを降すなら、もしかしたら避けることができるかも知れない。自分でわざわいを起こしてしまったのなら、無事でいることはできない」と。
この話は、「尚書」(書経)太甲中篇に曰く、
殷の国の初代・湯王を輔佐して天下を取らしめた宰相の伊尹が、湯王の死後に、二代目の王子・太甲とはじめはうまくいかないんですが、その後仲直りして、いろいろ説教をします。その説教を受けて、今は反省した太甲が伊尹を拝礼して、言った―――
天作蘖、猶可違。自作蘖、不可逭。
天の蘖を作すは、なお違うべし。自ら蘖を作せば、逭(のが)るるべからず。
「天がわざわいを降すなら、もしかしたら避けることができるかも知れない。自分でわざわいを起こしてしまったのなら、それを逃れることはできない」と申します。
「活」と「逭」が一字だけ違っていますが、これを引用しているんです。
「尚書」では、太甲はさらに、
既往背師保之訓。弗克于厥初、尚頼匡救之徳。
既往、師保の訓(おし)えに背く。厥(そ)の初めにおいて克(よ)くせざるも、なお匡救の徳に頼る。
これまでは、おもりのお師匠さま(伊尹のことをこう呼んだ)の教えに背いてしまっていました。はじめの時にはうまくやれなかった。しかし、お師匠さまのお救いくださる優しさに頼って、これからはうまくやっていきたいと思います。
と続けます。
反省していい人になったんです。朱子の弟子・蔡九峰は「太甲王子は、困知(困(くる)しみて知る)の人というべきで、試行錯誤して悩んだ末に真理にたどりついたのだ、生知(生まれながらに知る)、安知(楽に知る)の人たちとその価値は等しい」と評価しております。
閑話休題―――。
自分で自分たちをダメにしてしまったのでは、滅びないわけにはいかない。太甲がいう「自らわざわいを起こしてしまった場合」という、
此之謂也。
これ、この謂いなり。
この言葉は、まさにこのことを言っておるんじゃ。
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「孟子」離婁上より。自分で国を滅ぼさないようにしましょう。「四書五経」は時々読むといいこと書いてあるのですが、ここから試験問題出るぞ、とか、きみの人生すべてこれに書いてあることを守って生きていけ、とか言われたらホントに嫌になると思います。そんな国に生まれなくてよかったなあ。
今日は「尚書」も引用できたので、「1書1経」を引用しました。あと3書4経だ。