汚腸穢胃(汚腸穢胃)(「不下帯編」)
今日もどろどろの油食った。

牛乳飲んできれいにするモー。
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どろどろは美味いんだからしようがないですよね。
さて、五代の後唐・後晋・後漢・後周に仕えて太子少保になった王仁裕は天文や音楽にも詳しく、「開元天宝遺事」などを書いた文人ですが、
自幼不知書、年二十五始就学。
幼より書を知らず、年二十五にて始めて就学す。
幼いころは文字を知らなかった。二十五歳になって、はじめて学問を始めたのである。
そのうち、
嘗夢人刮其腸胃、以西江水滌之、顧見江中沙石皆為篆籀之文。由是文思大進、乃集其所作詩号西江集。
かつて、人のその腸胃を刮し、西江水を以てこれを滌(あら)うに、顧見るに江中の沙石みな篆籀の文を為すを夢む。これより文思大いに進み、その作るところの詩を集めて「西江集」と号せり。
ある日、夢を見た。夢の中で、誰かが仁裕の腹を斬り破って、そこから胃と腸を取り出し、四川の西江の水で洗っていた。腹が空っぽの仁裕がぎろりと背後を見てみると、川の中の砂や石、すべて秦以前の古代文字・大篆や小篆に変化していた。この夢以降、仁裕は文章力が格段に進歩したので、その詩集を刊行するとき、「西江」集と称したのだった。―――
これは「旧五代史」周書巻十五に記すところである。
そこで、わたくし思いますに、
凡人吐詞悪劣、皆由汚腸穢胃所致。安得尽滌以西江之水。
凡そ人の詞の悪劣なる、みな汚腸・穢胃の致すところに由る。いずくんぞ西江の水を以て滌い尽くすを得んや。
だいたい、ひとが、ひどい下劣な詩を作るのは、すべて汚れた腸やけがれた胃をしている(ので、そこから吐き出される詞も汚れている)からだ。なんとかして、西江の水を以てどいつもこいつも洗い尽くしてしまいたいものである。
南北朝時代の僧・仏図澄(ぶっと・ちょう)は、
嘗至流水厠、従腹旁孔取出五臓六腑、洗之。洗訖還内腹中。
嘗て流水厠に至り、腹旁の孔より五臓六腑を取り出して、これを洗えり。洗い訖りて腹中に環内す。
あるとき、川の流れを利用した野外トイレに入ると、わき腹にある穴から、ずいずいずい、と五臓六腑を取り射して洗った。洗い終わると、また腹の中に入れ直した・・・という。
可見成仏亦須洗其腑臓。況文人乎。
見るべし、成仏もまたその腑臓を洗うべきなり。況や文人をや。
これによって、悟りを開いた方も、やはり内臓を洗滌することがわかる。それなのに我々文人がそうしないでいいのだろうか。
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清・金埴「不下帯編」巻四より。わたしもきれいにしてみたいんですが、来る日も来る日も汚れた油や穢れたどろどろばかり食っているので、なかなか洗滌されません。ああ、どうすればいいのだ!