不知去来(去るや来たれるやを知らず)(「茶余客語」)
今日もいい天気でした。もう春です。入試も終わって次は卒業の季節ですね。
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「長いことお勤めごくろうさま。おほほほ」(三人官女A)
全部、清の時代のお話です。
(その一)・・・・・・・・・・・・・
宣城の茆楚畹は都勤めが長かったが、夏(旧暦五月)の初めのある晩、
夢之天上観競渡。
天上に競渡を観るを夢む。
天上世界らしいところで、(長崎のペーロンみたいな)競艇が行われるのを観ていた。
(競渡は五月五日に行われるんだったなあ)
と思っているうちに、もう競技は終了したらしく、
俄帰、見車騎迎至東岳廟。吏白設此以待公。
俄かに帰らんとし、車騎の迎えて東岳廟に至らんとするを見る。吏、白(もう)すに「これを設けて以て公を待つ」と。
それでは帰ろうとすると、馬車が迎えに来ていて、東岳・泰山のお社に行くのだという。出迎えの小役人が言うには、「このようにして、あなたさまのお見えになるを待っております」と。
そこで目が覚めて、
(それでは、泰山の府君(エンマさまみたいな人)の裁判所で仕事があるのだな・・・)
と気づいて、息子にそのことを話した。合わせて詩を賦して曰く、
隠隠龍舟聞競渡、香風天上五更回。
隠隠たる龍舟、競渡すと聞き、香風は天上を五たび更に回らん。
どこかに隠されているドラゴン船が競争をするという。(五月の)香りたつ風が、空の上をあと五回ぐらい吹きまわるだろう。
至五日逝。
五日に至りて逝けり。
きっかり五月五日に死んだ。
身後帷幕不周、両相国経紀其喪以帰。
身後に帷幕周せず、両相国その喪を経紀して以て帰る。
死んだ後で(貧乏だったので)、棺の周りに張り巡らすべき幔幕が足らず、まわりを囲み切れなかった。そこで、知り合いの大臣二人がお金を出して葬儀をさせ、棺を郷里に帰らせてやった。
貧乏で幔幕が無い、というのがかっこいいですね。
(その二)・・・・・・・・・・・・・
汪季甪は臨終の時、ぶつぶつと一絶句を唱えた。遺族が筆記したところでは、
悪夢虚名久未閑、孤雲倦鳥乍還山。
悪夢虚名久しくいまだ閑ならず、孤雲倦鳥たちまち山に還る。
悪い夢を見続け、虚しい名声を得て、長い間のんびりできなかったが、
一切れの雲・疲れた鳥となったわしは、もう山に帰るぞ。
と言うのが最後であった。
陳其年も危篤になったとき、詩を唱え出したが、
山鳥山花是故人。
山鳥山花、これ故人。
山の鳥と山の花は、古い友人であったが・・・。
まで詠んで力尽きたという。
(その三)・・・・・・・・・・・・・・
最近(19世紀半ば)のことじゃが、任藎思が病篤くなったとき、
里中有扶鸞者自称峨眉山老人。
里中に扶鸞(ふらん)者有りて、自ら「峨眉山老人」と称す。
村の中で、何人か集まってこっくりさんをしていたら、降りてきた神霊があって、名前を訊くと
「ガビサンノ老ジン」
と、灰の上に答えた。(チャイナのこっくりさんは、数人で持つ棒で灰の上に文字を書いていく。)
問何以来此、則書約任端書回山。
何を以てここに来たれるやを問うに、すなわち「任端書と山に回るを約す」と書す。
「ここに何しに来たんですか」と質問すると、すぐに灰の上に
任タンショト一ショニ山ニ帰ロト約束シタ
と書いた。
「端書」は任の最終官職。
ちょうどそのころ、任藎思は
索筆。
筆を索む。
筆を求めた。
彼は口頭ではなく、筆記したようです。
岩前流水杳然去、門外桃花幾度開。放眼峨眉山下路、不知帰去是帰来。
岩前の流水、杳然として去り、門外の桃花は幾たびか開く。眼を放つ、峨眉山下の路、知らず、帰り去るやこれ帰り来たれるや。
岩の前を流れる水のように、(わたしは)はるかかなたまで流れてきていた。
門の外の桃の花は、あれから何度咲いたであろうか。
みはるかす、峨眉山に向かうこの道。
わたしはそこに行こうとしているのだっけ、帰ろうとしているのだっけ。
旋卒。
旋(たちま)ち卒す。
そこで、亡くなった。
何とか終わりまで書ききれたようです。その瞬間から、こっくりさんはもう反応しなかった。
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清・阮癸生「茶余客話」巻八より。みなさん、なんだかシアワセそうに卒業してますね。この世がツラかったからかな? 今週はちょっとシゴトあって、ツラいかも。