3月12日 必ずシアワセになると思う

不知去来(去るや来たれるやを知らず)(「茶余客語」)

今日もいい天気でした。もう春です。入試も終わって次は卒業の季節ですね。

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「長いことお勤めごくろうさま。おほほほ」(三人官女A)

全部、清の時代のお話です。

(その一)・・・・・・・・・・・・・

宣城の茆楚畹は都勤めが長かったが、夏(旧暦五月)の初めのある晩、

夢之天上観競渡。

天上に競渡を観るを夢む。

天上世界らしいところで、(長崎のペーロンみたいな)競艇が行われるのを観ていた。

(競渡は五月五日に行われるんだったなあ)

と思っているうちに、もう競技は終了したらしく、

俄帰、見車騎迎至東岳廟。吏白設此以待公。

俄かに帰らんとし、車騎の迎えて東岳廟に至らんとするを見る。吏、白(もう)すに「これを設けて以て公を待つ」と。

それでは帰ろうとすると、馬車が迎えに来ていて、東岳・泰山のお社に行くのだという。出迎えの小役人が言うには、「このようにして、あなたさまのお見えになるを待っております」と。

そこで目が覚めて、

(それでは、泰山の府君(エンマさまみたいな人)の裁判所で仕事があるのだな・・・)

と気づいて、息子にそのことを話した。合わせて詩を賦して曰く、

隠隠龍舟聞競渡、香風天上五更回。

隠隠たる龍舟、競渡すと聞き、香風は天上を五たび更に回らん。

どこかに隠されているドラゴン船が競争をするという。(五月の)香りたつ風が、空の上をあと五回ぐらい吹きまわるだろう。

至五日逝。

五日に至りて逝けり。

きっかり五月五日に死んだ。

身後帷幕不周、両相国経紀其喪以帰。

身後に帷幕周せず、両相国その喪を経紀して以て帰る。

死んだ後で(貧乏だったので)、棺の周りに張り巡らすべき幔幕が足らず、まわりを囲み切れなかった。そこで、知り合いの大臣二人がお金を出して葬儀をさせ、棺を郷里に帰らせてやった。

貧乏で幔幕が無い、というのがかっこいいですね。

(その二)・・・・・・・・・・・・・

汪季甪は臨終の時、ぶつぶつと一絶句を唱えた。遺族が筆記したところでは、

悪夢虚名久未閑、孤雲倦鳥乍還山。

悪夢虚名久しくいまだ閑ならず、孤雲倦鳥たちまち山に還る。

 悪い夢を見続け、虚しい名声を得て、長い間のんびりできなかったが、
 一切れの雲・疲れた鳥となったわしは、もう山に帰るぞ。

と言うのが最後であった。

陳其年も危篤になったとき、詩を唱え出したが、

山鳥山花是故人。

山鳥山花、これ故人。

 山の鳥と山の花は、古い友人であったが・・・。

まで詠んで力尽きたという。

(その三)・・・・・・・・・・・・・・

最近(19世紀半ば)のことじゃが、任藎思が病篤くなったとき、

里中有扶鸞者自称峨眉山老人。

里中に扶鸞(ふらん)者有りて、自ら「峨眉山老人」と称す。

村の中で、何人か集まってこっくりさんをしていたら、降りてきた神霊があって、名前を訊くと

「ガビサンノ老ジン」

と、灰の上に答えた。(チャイナのこっくりさんは、数人で持つ棒で灰の上に文字を書いていく。)

問何以来此、則書約任端書回山。

何を以てここに来たれるやを問うに、すなわち「任端書と山に回るを約す」と書す。

「ここに何しに来たんですか」と質問すると、すぐに灰の上に

任タンショト一ショニ山ニ帰ロト約束シタ

と書いた。

「端書」は任の最終官職。

ちょうどそのころ、任藎思は

索筆。

筆を索む。

筆を求めた。

彼は口頭ではなく、筆記したようです。

岩前流水杳然去、門外桃花幾度開。放眼峨眉山下路、不知帰去是帰来。

岩前の流水、杳然として去り、門外の桃花は幾たびか開く。眼を放つ、峨眉山下の路、知らず、帰り去るやこれ帰り来たれるや。

 岩の前を流れる水のように、(わたしは)はるかかなたまで流れてきていた。

 門の外の桃の花は、あれから何度咲いたであろうか。

 みはるかす、峨眉山に向かうこの道。

 わたしはそこに行こうとしているのだっけ、帰ろうとしているのだっけ。

旋卒。

旋(たちま)ち卒す。

そこで、亡くなった。

何とか終わりまで書ききれたようです。その瞬間から、こっくりさんはもう反応しなかった。

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清・阮癸生「茶余客話」巻八より。みなさん、なんだかシアワセそうに卒業してますね。この世がツラかったからかな? 今週はちょっとシゴトあって、ツラいかも。

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