叩頭流血(叩頭して流血す)(「清波雑志」)
壊れた後が大事なんです。

いのちの日です。なお、これは「あんまき」ではなく「大あんまき」だ、と愛知の人から教えてもらいました。
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唐の裴行険は、いわゆる出入将相(辺境に出でては将軍となり、宮中に入っては宰相となる)といわれた名宰相ですが、調露元年(679)、西突厥を破り、
得瑪瑙盤、広三尺。
瑪瑙盤の広さ三尺なるを得たり。
直径一メートルもある巨大なめのう製のお皿を入手した。
出以示将士、為軍吏捧盤升階、跌而砕之。
出だして以て将士に示さんとし、為に軍吏盤を捧げて階を升るに、跌してこれを砕けり。
出してきて部下の武将や兵士に見せてやろうとして、軍の下っ端役人に皿を捧げて持って来させた。すると、この役人は階段を登ろうとして、つまづいて倒れ、さらを壊してしまった。
「おゆるし、おゆるしくだされ、いや、ころして、ころしてくだされー!」
がつん、がつん。
叩頭流血請罪。
叩頭流血して罪を請う。
軍吏は頭を何度も地面に打ちつけて土下座をし、許しを請うた。頭からはどろどろと流血した。
この文章の「眼目」は、この「頭をぶつけて血を流す」部分ではないかと思ったので、ここを標題に使ってみました。確かにこうやって謝るしかありませんよね。ということで、今日の教訓。
失敗したら頭をぶつけて血を流すぐらいペコペコしよう!
では今日はこのへんで・・・
だが、裴は笑って言った、
爾非故為。何罪。
爾の故為にあらず。何ぞ罪せんや。
「おまえはわざとやったんではないからな。責めるやつはいないよ」
と。
さて、我が宋の大宰相、魏公・韓琦さまは、
得二玉杯、玉盤、觴客次、藉以錦、寘于案。
二玉杯・玉盤を得て、客次に觴し、錦を以て藉(し)き、案に寘けり。
玉のさかずき二つと玉の皿を入手し、お客が来ると順次に杯を回させ、お皿の方は錦の敷物を敷いて、机の上に置いていた。
ところが、
為執事者触案、砕于地。
執事を為す者、案に触れて、地に砕けり。
担当者がこの机に触れてしまい、玉の皿は地面に落ちて砕けてしまった。
ヤバイ! 流血して謝るしかない!
だが、韓琦さまは、
非但一時略不変色、竟無追惜之意。
ただ一時にほぼ変色せざるのみに非ず、ついに追惜の意無し。
その時、ほぼまったく顔色も変えなかったのはもちろんだが、その後も、一度ももったいながるような風情はなかった。
与呂文靖試諸子度量、古今之事、若合符節。
呂文靖の諸子の度量を試みると、古今の事、符節を合するがごとし。
呂文靖公(呂夷簡)の故事、とはこんな故事です。先人が遺しておいてくれててよかったなあ。
呂文靖公が四人の子どもたちの性格と度量を調べてみた、ということと、今と昔は違っても、割り札の左右がぴったり合うように、同じような考え方だったのだ。
実際は、そんな話ばかり集めただけで、頭から血を流していても許せないという人たちの方が多いんだと思いますけど。
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宋・周煇「清波雑志」巻七より。わたしぐらいの関わりでは、3月11日だからといって特別のことを書くわけではないのですが、営々として築いてきたものでもなんでも壊れるのは当たり前、その後が大切なんだと思います。
キリ番同時、もすごいですね。割り札がぴったり合ったみたいな現象です。