口目倶欹(口目ともに欹(そばだ)つ)(「明語林」)
なまたまごを立てるには壊さなければならない。

ゆでたまごは立つ。
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明の中頃に内閣大学士(宰相)にまでなった姚広孝は、少年時代から王仲光というやつと仲が良かった。
姚が科挙試験を受けようとしたとき、王は
「おれはそういう方向には行く気はないから」
と受験せず、そのまま郷里に残って読書と耕作の日々を選んだのであった。
十数年が経って、
姚既貴、旋里。
姚既に貴にして、旋里す。
姚はかなり出世し、地方に大官として赴任する途中、郷里に立ち寄った。
実家で親族のあいさつを受け終わると、すぐに
鳴騶詣仲光。
騶を鳴らして仲光に詣る。
馬に乗って、前後の従者に先掃いをさせながら、仲光の家に行った。
ところが、
仲光閉戸。
仲光戸を閉ざす。
仲光の家は戸を閉ざしたままで、誰も出迎えもしない。
まるで留守のような様子なのだ。
従者たちは「姚太守がお見えというのに怪しからん」と門を強く叩いたが、姚はそれを押しとどめて、
仲光高士。
仲光、高士なり。
「仲光は高尚な士だからな」
と言って引き上げた。
明日徒歩造門、乃相接、坐談既久。
明日、徒歩門に造(いた)ればすなわち相接し、坐談すでに久し。
翌日、歩いて仲光の家に行くと、門は開いていて、仲光が出迎えてくれた。家に入って座り込み、かなり長い時間、話をした。
お互いの家族や共通の幼馴染のことのほか、最近の読書や学者の評判が話題の中心であった。
姚は、話の切れ目に、
徐勧仲光仕。
徐むろに仲光に仕を勧む。
そっと、仲光に役所勤めをする気はないか、と訊いてみた。
おそらく、自分の幕僚として任地に同行してもらいたかったのだと思います。
すると――――
仲光忽茗甌堕地而仆、口目倶欹。
仲光たちまち茗甌(めいおう)地に堕して仆(たお)れ、口目ともに欹(そばだ)てり。
その言葉を聴くや、仲光は突然、手にしていた茶の碗を地面に取り落として倒れてしまった。助け起こしてみると、口も目も歪んでしまっていた。
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清・呉粛公「明語林」徳行上篇より。シゴトはコワいので、したくない人にさせようとしてはいけません。
さて、今日(の所用・調査)は半旗にはなっていたが、特にサイレンも無かったので黙祷しない日でした。昭和30年になったら「もはや戦後ではな」くなったんだそうですから、そろそろ風化しはじめた・・・のかも。原発取り除けたらそれでもいいんだけど。