戯其腹上(その腹の上で戯る)(「独異志」)
腹の上で死ぬやつではありません。

一メートルを超すイソギンチャクもいるらしいのですから、スモモの入るヘソもあるでしょう。
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漢代のことですが、趙伯翁という人は肥っていたそうなんです。
嘗昼寝、群孫戯其腹上、内七李于臍中。
嘗て昼寝ぬるに、群孫その腹上に戯れ、七李を臍中に入る。
ある時、趙が昼寝していると、孫たちがその腹の上で遊んだ。(というほど腹がでかかったんです。)孫たちはいたずらして、スモモの実を七つ、趙のヘソの中に入れてしまった。
それでも趙は気づかなかった。
やがて、
李至爛流汁出、其家謂其将死。
李、爛るるに至りて流汁出で、その家、それまさに死なんと謂えり。
スモモの果肉が腐って汁になってヘソから流れ出てきた。その家では、(はらわたが腐り始めたので)これはもう助かるまいと言い合っていた。
後、李核出而無患。
後、李の核出でて患無し。
その後、すもものタネがヘソから出てきて、それ以降何の症状も無くなった。
それで、孫たちを詰問したところ、真相が明らかになったのだそうだ。
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唐・李冗「独異志」上より。ショートショートという文学ジャンルを先取りしたような作品ですね。こんなのもあります。
項羽毎叱咤、万人手足皆廃。
項羽、叱咤するごとに、万人の手足みな廃せり。
楚の項羽が人を𠮟りつけると、(あまりの激しさに)いつも、一万人の兵士たちが全員、手足が動かなくなった。
以上。一行だけです。余韻?があって、俳句みたいですね。
こんなのはどうですか。
公孫呂面長三尺、闊三寸。為衛国賢臣。
公孫呂は面の長さ三尺、闊さ三寸なり。衛国の賢臣たり。
当時の一尺≒22,5センチ。
公孫呂は顔の長さが67センチあった。幅は7センチだった。春秋・衛国の賢臣である。
以上。
四十台のころはこんな話が大好きで、肝冷斎の最初期(平成十年代後半)はたくさん紹介していたと思いますが、そのうちネタが尽きて、だんだん長いものに移行していったのです。東日本震災よりも前の時代のことです。