其誤尤甚(その誤り尤も甚だし)(「訂訛類編」)
なんとか一週間終わりました。しかし週末はまた厳しいノルマが課されています。わたしの生き方は何か間違っているのであろうか。間違っているならだれか指摘して欲しいなあ・・・。

何度か間違うとぐつぐつ熱湯風呂に入れられる(かも知れない)ぞ。
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「三国志」の「孫策伝」を読むと、
張津嘗著絳帕頭。
張津嘗(つね)に絳帕頭(こうはくとう)を著く。
張津は、いつも赤いはちまきを締めていた。
という記述がある。
帕頭者、猶今言幞頭也。
帕頭(はくとう)なるものは、なお今言う幞頭(ぼくとう)なり。
「はちまき」というのは、今(12世紀)いうところの「はちまき」のことである。
(訳してみるとアホのように聞こえますね。)
ところが、三国時代から600年後の唐の韓愈が
以紅帕首。
紅帕を以て首にす。
紅の「はちまき」を首巻きにした。
という表現をしており、
已為失之。
すでにこれを失すると爲す。
どうやらこの時代にはもう「帕頭」で「はちまき」ということは忘れてしまって、「帕」だけで帯状のもの、と誤解していたようだ。
さらに300年経った北宋の蘇東坡になると、
絳帕蒙頭読道書。
絳帕、頭に蒙りて道書を読む。
紅い帯を頭にかぶって、道教の本を読んでいる。
なんて書いているのである。
増一蒙字、其誤尤甚。
一蒙字を増して、その誤ちは尤も甚だし。
「帕頭」で一語だということを忘れているだけでなく、その間に動詞の「蒙むる」の一字を挿入してしまっているので、まったく言い訳のつかない最高の誤りをしているのである。
蘇東坡がこんなダメ人間だったとはなあ。わははは、わははは。
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宋・陸游「老学庵筆記」(清・杭世駿「訂訛類編続補」巻上所引)より。やはり間違いは指摘されるより指摘すべきものですね。鬼の首が取れた。よかった。
「考証」学は人の誤りを指摘できて、しかも昔の人相手だからこちらは安全な場所にいれて、楽ちんです。しかもこれは陸游の考証を清の杭世駿が引いてきて、それをいま肝冷斎が再引用しているわけですから、もしこちらの間違いが指摘されても、肝「杭世駿が迷惑をかけて申し訳ない」杭「陸游が迷惑かけまして」陸「昔の人の記述ですからどうぞ許してやってくだされ」と安全にも安全を重ねているわけです。のびのびできますね。