日夜摩之(日夜これを摩(さす)る)(「陶庵夢憶」)
七十三歳で昼も夜も、とは。こんなふうに何かに夢中なることが、われわれにはあっただろうか。

「ちなみに、蘭はその高潔さから「君子」に比せられるでアブー」。それでは、現代にはもう見られないのではないか。
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明の終わりごろのことです。
紹興の范与蘭は文人というよりは、プロの琴の演奏者というべき芸術家肌のひとですが、そのころで、
年七十有三、好琴、喜種蘭、及盆池小景。
年七十有三、琴を好み、蘭を種(う)うること、及び盆池の小景を喜ぶ。
数えで七十三歳、琴が好き、ランを植え育てることと、盆皿に作る小さな景色(以下「盆栽」と言おうかな、と思いましたが、少し違うもの、という理解のようですので止めときます)が生きがいであった。
琴と蘭はともかく、この「盆栽」を「ジオラマづくり」と解釈してみると、なんとなく友だちみたいに見えて来るから不思議ですね。ということで、この趣味は以下「ジオラマづくり」と訳します。
建蘭三十余缸、大如簸箕。早舁而入、夜舁而出者、夏也。早舁而出、夜舁而入者、冬也。長年辛苦不減農事。
蘭を建つること三十余缸、大なること簸箕の如し。早(つと)に舁(か)きて入れ、夜舁きて出だすは、夏なり。早に舁きて出で、夜舁きて入るは、冬なり。長年の辛苦、農事に減ぜず。
「缸」(こう)は「大甕」。お酒などを造る巨大なカメのことですが、ここでは「簸箕」(穀物を簸って殻と実を分けるザルみたいなやつ)ぐらいの大きさだ、と言ってますので、もう少し小さいもののようです。「舁」(よ)は、「駕籠を舁(か)く」の「舁く」です。この字は上下から両手が差し出されている(つまり腕が四本)形を写したもので、二人がかりで両手で物を持ち上げている様子。「與」(与)「興」「輿」などに入っていますね。
ランは、三十いくつかの巨大なカメで育てていた。その大きさは、穀物選別に使う箕ぐらいもあった。朝には屋内に運び入れ、夜には屋外に運び出す、これが夏の日課。朝には屋外に運び出し、夜には屋内に運び入れる、これが冬の日課。(温度をできるだけ一定に保つのである。)このように長い間つらい労働を続けていた。農家の苦労と変わるところがない。
そんなふうに苦労して育てているので、
花時香出里外、客至坐一時、香襲衣裾、三五日不散。
花時には香は里外に出で、客至りて一時坐せば、香は衣裾を襲いて、三五日散ぜず。
花の季節には、香りが村の外まで匂ってきて、お客さんが来て屋敷にしばらく座っていると、着物や裾に香りが移り、三日から五日ほどの間、消えない。
現代なら、迷惑施設として市役所に苦情が持ち込まれます(確信)。
余至花期至其家、坐臥不去、香気酷烈、逆鼻不敢嗅、第開口呑飲之、如沆瀣焉。
余、花期に至ればその家に至り、坐臥して去らず、香気酷烈にして、鼻を逆えて敢えて嗅がず、ただ口を開きてこれを吞飲して、沆瀣(こうかい)するが如し。
わたしは、花の季節になるとその家に行って、座ったりごろごろしたりして帰って来なかった。香りはひどく激しく、鼻で嗅ごうとする必要が無い。ただ口を開いて空気を飲み込んで、体中に広く浸み込ませるだけである。
さて、季節が過ぎて、
花謝、糞之満箕、余不忍棄。与与蘭謀曰、有麺可煎、有蜜可浸、可火可焙、奈何不食之也。与蘭首肯余言。
花謝(ち)りて、糞の箕に満つるも、余棄つるに忍びず。与蘭と謀りて曰うに、「麺有れば煎るべく、蜜有れば浸すべく、火すべく焙るべく、いかんぞこれを食らわざらんや」と。与蘭余の言に首肯す。
花が散った後、その花びらがごみを集めたザル一杯になったが、わたしは棄てるのがもったいなかった。与蘭とともに、「麺と一緒に炒めるか、蜜漬けにするか、焼くなり焙るなりして、何とかして食べたいものじゃな」と話し合った。与蘭はわたしのコトバに真剣な顔で頷いていた。
結局、わたしにはくれなくて、一人で屋内に持ち帰り、しばらく食べていたようである。
(彼が琴の名人であることが記述されていますが、この部分は中略)
范与蘭の屋敷に、
所畜小景、有豆板黄楊、枝幹蒼古奇妙、盆石称之。
畜(たくわ)うるところの小景に、豆板黄楊(とうばんつげ)の、枝幹蒼古にして奇妙、盆石とこれに称(かな)う有り。
保有しているジオラマの中に、豆板(マメの花)のように堅い黄楊(つげ)の、枝も幹も青黒く古びて変な色かたちになっていて、皿も置かれている石もこれに釣りあいの取れているのがあった。
これは、
朱樵峰以二十金售之、不敢易、与蘭珍愛、小妾呼之。
朱樵峰の二十金を以てこれを售(か)わんとせしに、敢えて易せず、与蘭珍愛して、「小妾」とこれを呼ぶ。
有名な趣味人の朱樵峰が二百万円?で買い取りたいと言ったのだが、売らなかったというもので、与蘭はこれを大いに愛して、「わしの年下愛人ちゃん」と呼んでいたのである。
キモチの悪いおじいさんです・・・ね。許せない? ほうほう、そうですのう。
余強借斎頭三月、枯其垂一幹、余懊惜、急舁帰与蘭。
余、強いて斎頭に借りて三月、その垂一幹を枯らし、余懊惜して急ぎて舁きて与蘭に帰す。
わたしはこれを無理やり借りてきて、書斎に置いて楽しんでいたところ、三か月経ったところで、だらりとした幹が一本枯れ始めた。わたしは悩み悲しんで、大急ぎで与蘭のところに持ち込んで返した。
「こ、こんなにしおって!」
与蘭驚惶無措、煮参汁澆灌、日夜摩之不置。
与蘭、驚き惶(あわ)てて措く無く、参汁を煮て澆灌し、日夜これを摩すりて置かず。
与蘭は驚き慌てたが、どうすればいいかわからず、ただ人参を煮込んで作ったスープを灌ぎかけて、昼も夜もその幹を擦って離れることが無かった。
ニンジンは体にいいので、木にもいいと考えたのでしょう。
すると、
一月後枯幹復活。
一月の後、枯幹復活せり。
一か月経ったころ、枯れていた幹がまた生き返ったのだった。
よかった。ほんとに。
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明・張岱「陶庵夢憶」巻八「范与蘭」より。七十いくつにもなってこれか、「老害」決定! などと言わずに、みなさんにももう少し包摂する心を持っていただきたいものです。
「包摂」で思い出しましたが、川口の治安がいよいよひどいことになってきたそうです。今度見て来ようかなー。どう対処するかこれから考える人が考えるんでしょうけど、こうなったのは、何にも議論せずにただ経済界の意見にだけ従ってきた政官の「皴」が寄って、ついに噴き出してきたという理解でいいのでしょうか。博雅の叱正を俟つ。