3月10日 年をとっても元気でがんばろう

日夜摩之(日夜これを摩(さす)る)(「陶庵夢憶」)

七十三歳で昼も夜も、とは。こんなふうに何かに夢中なることが、われわれにはあっただろうか。

「ちなみに、蘭はその高潔さから「君子」に比せられるでアブー」。それでは、現代にはもう見られないのではないか。

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明の終わりごろのことです。

紹興の范与蘭は文人というよりは、プロの琴の演奏者というべき芸術家肌のひとですが、そのころで、

年七十有三、好琴、喜種蘭、及盆池小景。

琴と蘭はともかく、この「盆栽」を「ジオラマづくり」と解釈してみると、なんとなく友だちみたいに見えて来るから不思議ですね。ということで、この趣味は以下「ジオラマづくり」と訳します。

建蘭三十余缸、大如簸箕。早舁而入、夜舁而出者、夏也。早舁而出、夜舁而入者、冬也。長年辛苦不減農事。

「缸」(こう)は「大甕」。お酒などを造る巨大なカメのことですが、ここでは「簸箕」(穀物を簸って殻と実を分けるザルみたいなやつ)ぐらいの大きさだ、と言ってますので、もう少し小さいもののようです。「舁」(よ)は、「駕籠を舁(か)く」の「舁く」です。この字は上下から両手が差し出されている(つまり腕が四本)形を写したもので、二人がかりで両手で物を持ち上げている様子。「與」(与)「興」「輿」などに入っていますね。

そんなふうに苦労して育てているので、

花時香出里外、客至坐一時、香襲衣裾、三五日不散。

現代なら、迷惑施設として市役所に苦情が持ち込まれます(確信)。

余至花期至其家、坐臥不去、香気酷烈、逆鼻不敢嗅、第開口呑飲之、如沆瀣焉。

さて、季節が過ぎて、

花謝、糞之満箕、余不忍棄。与与蘭謀曰、有麺可煎、有蜜可浸、可火可焙、奈何不食之也。与蘭首肯余言。

結局、わたしにはくれなくて、一人で屋内に持ち帰り、しばらく食べていたようである。

(彼が琴の名人であることが記述されていますが、この部分は中略)

范与蘭の屋敷に、

所畜小景、有豆板黄楊、枝幹蒼古奇妙、盆石称之。

これは、

朱樵峰以二十金售之、不敢易、与蘭珍愛、小妾呼之。

キモチの悪いおじいさんです・・・ね。許せない? ほうほう、そうですのう。

余強借斎頭三月、枯其垂一幹、余懊惜、急舁帰与蘭。

「こ、こんなにしおって!」

与蘭驚惶無措、煮参汁澆灌、日夜摩之不置。

ニンジンは体にいいので、木にもいいと考えたのでしょう。

すると、

一月後枯幹復活。

よかった。ほんとに。

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明・張岱「陶庵夢憶」巻八「范与蘭」より。七十いくつにもなってこれか、「老害」決定! などと言わずに、みなさんにももう少し包摂する心を持っていただきたいものです。

「包摂」で思い出しましたが、川口の治安がいよいよひどいことになってきたそうです。今度見て来ようかなー。どう対処するかこれから考える人が考えるんでしょうけど、こうなったのは、何にも議論せずにただ経済界の意見にだけ従ってきた政官の「皴」が寄って、ついに噴き出してきたという理解でいいのでしょうか。博雅の叱正を俟つ。

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