退歩是進歩(歩を退くるはこれ歩を進むるなり)(「陸象山集」)
三歩下がって二歩進む。ぐらいでしょうか、衰退国家においては。

星の流れに身を占ってごろごろと・・・アンドロメダひめちゃんでしたー。
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ロケット打ち上げ失敗しました。
「ダメなやつにやらせるからだ、できるやつに落札させればよかったのだ」ではないのです。
人生天地間、気有清濁、心有知愚、行有賢不肖。必以二途総之、則宜賢者心必智、気必清、不肖者心必愚、気必濁。
人の天地の間に生ずるや、気に清濁有り、心に智愚有り、行に賢不肖有り。必ず二途を以てこれを総ぶれば、すなわち宜賢者の心は必ず智、気必ず清く、不肖者の心必ず愚、気必ず濁なり。
ひとが天と地の間に生まれると、精神には必ず清(清爽)と濁(混迷)があり、能力には智(知的)と愚(愚直)があり、行動に賢(できる)と不肖(ダメ)がある、という。必ず二つに分析して三者の関係を総合すると、よくできる人は、能力的には知的であり、精神的には清爽、できないダメなやつは能力的には愚直、精神的には絶対混迷である・・・
と思うかも知れんが、
而乃有大不然者。
しかるに、大いに然からざるもの有り。
そういう考えは、大いに間違っているのじゃ!
所謂清濁智愚者、殆不可以其行之賢不肖論也。
いわゆる清濁・智愚なるものは、ほとんどその行の賢不肖を以て論ずべからざるなり。
清爽・混迷、知的・愚直などというものは、ほぼ行動のできる・ダメと一緒くたにして議論すべきものではないのだ。
混乱しながらも愚直に、正面突破していくやつがいることを考えれば、おわかりであろう。
さて、おまえさんは、
始至此、其説蓋甚怪。然某観爾之賢、本甚淳朴、非能自為此怪説也。
始めてここに至るに、その説けだし甚だ怪なり。然るに某、爾の賢を観るに、もと甚だ淳朴、よく自らこの怪説を為すにあらざらん。
最初にわしのところに弟子入りしてきたときは、なんともおかしな学説を説いていた。しかし、わしがおまえさんの精神や能力を見るに、本来ははなはだ純朴な人物、自分で考えてこんなおかしな学説を説いているわけではなさそうじゃった。
おそらく、
一溺於流俗、再眩於怪説、狼狽可憐之状、遂至於此。
一たびは流俗に溺れ、再びは怪説に眩じ、狼狽して憐れむべきの状、遂にここに至れり。
最初は科挙試験だとか出世しろだとかいう世間一般の流れに溺れ、次には朱晦庵か禅僧か(新自由主義か)知らんがおかしな学説に目をくらまされ、おろおろと憐れむべき状態で、とうとうわしのところにやってきたのだ。
おまえさんは、いまだ心の動かない時に修養すべきか、心の動いたところですべて正しくなるように振る舞うべきなのか、知識が先なのか行動か、格差は自己責任だなど、いろんなことを考え過ぎているんじゃよ。
今但能退而論於智愚清濁之間、則是惑庶幾乎自解矣。
今は、ただよく退きて智愚清濁の間において論ずれば、すなわちこの惑も自解するに庶幾(ちか)からん。
現状では、ただ、思い切って引き下がり、知的と愚直、清爽と混迷、その両側ではなくその間のどこかに道があるのではないかと考えてみなされ。そうすれば、今の悩みがおのずと解決するかも知れない。
(知らんけど)
よく言うではありませんか。
当局者迷、傍観者審。用心急者多不暁了、用心平者多暁了。英爽者用心一緊、亦且顛倒眩惑、況昏鈍者豈緊用心耶。
局に当たる者は迷い、傍らに観る者は審らかなり。用心急なる者は多く暁(さと)らず、用心平らかなる者は多く暁る。英爽なる者も用心一緊すれば、またまさに顛倒眩惑す、いわんや昏鈍なる者、あに緊用心せんや。
―――将棋を指しているやつは混乱しているが、横で見ているやつは先まで理解している。
―――焦って考えるとわからないが、ゆっくり考えるとよくわかる。
すぐれて冴えているやつでも緊張しているとひっくり返ったり目がくらんだりするのだ、オロカで鈍感なるやつは緊張さえできないんじゃ。
昆仲向学之志甚勤、所甚病者、是不合相推激得用心太緊耳。
昆仲向学の志はなはだ勤、甚だ病むところのものは、これ相推激して用心の太はだ緊なるを得るべからざるのみ。
おまえさんたち兄弟はたいへん一生懸命学問しようとしているが、実は一番悩んでいるところは、互いに激しく論じあって心を緊張させ過ぎているので、それを緩めてやればいいだけなのだ。
ある先輩がよく言っていたコトバだが、
諸公所謂退歩乃是進歩耳。
諸公のいわゆる退歩はすなわちこれ進歩なるのみ。
「お前さん方が「後退した」と言っているときは、(進んではいけない方向がわかったり、自分の行動を反省するなど)実は「前進している」んじゃよ」
と思って、これからもがんばってください。
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宋・陸九淵「象山文集」巻六より「包詳道に与うる書」。包詳道は陸象山のところに最近来た弟子です。八百年以上前の人ですが、はっきり言ってあげてますね。まるで目の前で叱ったりすかしたりしているのを見るかのようではありませんか。「退歩は進歩なるのみ」はいいコトバです。が、「昏鈍者は緊張することさえできないんじゃぞ」は厳しいので、我が身を振り返って涕がにじんでしまいます・・・よね、みなさんも。
ロケットも、課題と責任をしっかり整理してくれれば、また進めます。出火の原因の確認もできずにまた再建しようとしている〇里城よりはずっと立派だと言えま・・・すみません、また世迷言でした。もう人材そのものがいないんでしたね・・・。