未必笑得(いまだ必ずしも笑い得ず)(「東坡題跋」)
今日は啓蟄節。むしやへびが地中から出てきます。美味そうだな。むしゃむしゃ。
「あいつ、ムシやヘビを食べているぞ」「わははは」「おほほほ」
いや、違います。今日は経費節約の意もあって、粉末味噌汁にキャベツやこんにゃくなど入れて電子レンジで煮て晩飯にしていたんです。まるでムシやヘビのように不味そうに見えるのであろうが、何故笑うのでしょうか。

何を笑っているんでクモ?クモジゴクに引きずりこんで欲しいんでクモ?
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孔子の弟子の原憲は、「孔門の十哲」に名が挙げられていないところを見ても、あまり取り柄のある人ではなかったようです。無能です。「無能か、わははは」「おほほほ」「うふふふ」と笑う人たちがいるかも知れません。しかし、その「恥」の概念を主とした倫理観には、孔子も敬服していた。
孔子の死後、どこにも仕えることなく小路の奥に棲んでいたが、ある時、当時衛の国の宰相となっていた兄弟弟子の子貢がお付きの者どもを連れて、会いに来てくれた。
憲摂弊衣冠見子貢。
憲、弊衣冠を摂して子貢に見(あ)う。
原憲は、破れた服や冠をつけて(友だちが来てくれたので正装したのだ)子貢に会った。
子貢はその見すぼらしい姿に驚いて、言った、
夫子豈病乎。
夫子、あに病(へい)せるか。
「おまえ、弱っているのではないか」
「病」をどう訓じるか、この章での読みは悩ましいのですが、「なや」める、「つか」る、と読んでいる例があります。一応「弱っている」と訳してみました。
「はあ?」
原憲は怪訝そうに言った、
吾聞之、無財者謂之貧、学道而不能行者謂之病。
吾これを聞く、財無き者はこれを貧と謂う、道を学びて行うあたわざる者、これを「病」と謂う、と。
「わしの理解では、財産が無いやつは「貧しい」というんじゃなかったかな。立派な学問をしていながらそれを実際の人生に生かせてないやつのことを「病(よわ)っている」というはずじゃぞ。
若憲貧也、非病也。
憲のごときは貧なり、病にはあらざるなり。
この原憲の状態は「貧しい」であって、「病(よわ)っている」のではないと思うがなあ」
「むむむ・・・」
子貢慙不懌而去、終身恥其言之過也。
子貢慙じて懌ばずして去り、身を終うるまでその言の過てるを恥づ。
子貢はいたたまれなくなって不愉快そうに帰って行き、その後死ぬまで、自分のコトバは間違っていたと後悔し続けていた。
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「史記」仲尼弟子列伝第七より。実はこのエピソードは今を去る令和3年11月26日(金)にもご紹介しているのですが、先代肝冷斎のHPが砂に埋もれた今となってはリンクのしようもありませんので、また引用しました。
昔の友だちが会いに来てくれた時に、悪意も無いのにこの対応で、相手を傷つけてしまう。このあたりが原憲が世に容れられなかった原因であろうとも思いますが、しかしかっこいいですよね。どうせ貧乏ならこれぐらいは言ってみたいものだ。
さて、北宋の元豊四年(1081)、わし(蘇軾)は黄州で同年の馬夢得と飲んでいた。
酔後、誦孟東野詩。
酔いて後、孟東野の詩を誦せり。
酔った後で、(馬夢得の所有の)晩唐のひと・孟東野の詩集を声を出して吟じたりした。
その句に曰く、
我亦不笑原憲貧。 我また原憲の貧を笑わず。
―――ああ、わし(孟東野)は、原憲を貧乏だといって笑っていられるような状況にありませんのじゃ。
と。
「わははは」
不覚失笑。
覚えず失笑す。
不覚にも大笑いしてしまった。
東野何縁笑得原憲。
東野、何に縁りて原憲を笑い得んや。
孟東野が、どうして原憲を笑うことができるのだろうか。
孟東野、孟郊は晩唐の詩人(751~814)、生涯不遇で、詩も「郊寒島痩」(孟郊は寒々とし、賈島はガリガリだ)と言われる素寒貧系詩人である。
でも、こんなことを言われると、
「わしは原憲を「笑っている」わけではなくて「笑えない」と言っているのに、何を言いがかりをつけれくるんだね、この若造は。わしより200年ぐらい年下のくせをしおって」
と怒ってくるかも知れません。もちろんあの世から。
蘇軾は、「ふふん」とにやにやしながら、
遂書此以贈夢得。
遂にこれを書して以て夢得に贈る。
結局、孟東野の詩集に以上のことを書きつけて、馬夢得に贈呈することにした。
只夢得亦未必笑得東野。
ただ夢得もまたいまだ必ずしも東野を笑い得ず。
しかしながら、夢得のやつも、孟東野を「貧乏人が貧乏人を笑っている」と笑える立場には無いわけだが。
彼も貧乏なので。
しかし、これも、
「待て、孟東野を笑ってるのはお前(蘇軾)であって、わし(馬夢得)ではない。落書きは止めろ」
と怒られそうです。
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宋・蘇軾「東坡題跋」より「書孟東野詩」。相手が貧乏そうでも笑ってはいけません。
孟東野の詩について、もう一つ。
―――みなさん、孟東野の「聞角詩」(角笛を聞くのうた)を読んだことがありますか。
彼は夜明け前の角笛の音を聴いて、こう歌ったのだ。
如開孤月口、 孤月の口を開くが如く、
似説落星心。 落星の心を説くがごとし。
孤独な月が口を開いて何かを語り出すかのような―――、
沈みゆく星が己の思いをを説き起こすかのような―――あの音だ。
と。
今夜聞崔誠老弾暁角、始覚此詩之妙。
今夜、崔誠老の「暁角」を弾くを聞き、始めてこの詩の妙なるを覚ゆ。
今夜、琴の名手・崔誠老が「夜明けの角笛」の曲を弾いて聴かせてくれた。これを聴いて、はじめて孟東野の詩が如何にうまく角笛の音を表現しているのか、を知ることができた。
と。(「東坡題跋」より「題孟郊詩」(孟郊の詩に題す))。
ただし、孟東野の詩は「鶴を聞くの詩」という題名なんだそうで、蘇軾の記憶違いか、あるいはわざと間違えたのか。いずれにせよ、「鶴」より「角笛」の方が寒々としていそうではある。