2月9日 ほんとに少し暖かくなったような

須惜少年時(惜しむべし、少年時)(「楽府詩集」)

この年になって書物に学ぶのも気恥ずかしいのですが、ほかにやることも無いから書物でも読んでおります。若いころもっと読んでおけばよかったのですが、若いころは本なんか読む気になりませんよね。悩んだり暴れたりするのに忙しくて。

「あなたにも復讐はできる」とか「ハウツーリベンジ」とか「楽しい復讐講座」とかを読んでいるわけではないので安心してください。くっくっく・・・。

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最近、読んでてちょっと心を惹かれた詩を二三紹介してみます。

一つ目は、「雑調」唐・無名氏作

勧君莫惜金縷衣、勧君須惜少年時。

有花堪折直須折、莫待無花空折枝。

宋・郭茂倩の編集した「楽府詩集」巻八十二では、「金縷衣」(金の糸で縫った衣)の題名を着けて、唐の李錡という人の作だ、と書いてあるのですが、その記述は、唐の杜牧が

李錡長唱此辞、秋持玉斝、酔与唱。

と書いている(「樊川集」)のを見て「李錡の作品」としているだけだそうで、杜牧の言うところを素直に読めば、李錡が歌ったときには秋娘も知っていたわけですから、これは当時の流行歌だった、と考えるべきでしょう。

なお、この「秋」という妓女は、杜牧と同じ苗字だったことになって、「杜秋娘」という名前がつき、書物によっては「杜秋娘作」としているものもあるそうです。ただ、この詩を最初に記録したとみられる唐・韋縠「才調集」では

無名氏(読みびと知らず)作 「雑調」(節もよくわからない)

とされているらしい(民国・黄永武「珍珠船」による)ので、これが正しいのでしょう。

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二つ目は、高麗・毅宗の末年(1170)に、尚書の金莘尹が九月九日の重陽節の宴席で、王に捧げて作った「九月九日」高麗・李斉賢「櫟翁稗説」後集二より)。この日は、杯に菊を浮かべた長寿の薬・菊酒を飲む習慣が(チャイナから伝わって)あります。

輦下風塵起、殺人如乱麻。

良辰不可負、白酒泛黄花。

数か月後には、高麗王朝を揺るがす「庚寅の変」というクーデタが起こり、武臣らが権力を奪取、多くの文官が殺され毅宗も廃位される、という直前の不安定な政治情勢のもと、とはいえ、おめでたい宴席でこの詩はしびれますね。

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宮崎滔天「三十三年の夢」を読んでいます。吉野作造先生お薦めのやたらオモシロい本ですが、ほんとにオモシロいですね。明治にはこんな人がごろごろいたんでしょう。

すると、筆を執って、こんな詩を書いて示してきた。

騰騰騰古今、空空空天地。

独歩天地外、向上何妙意。

あんまり意味は無かったのでしょう。

と言っています。

この乗りで毎ページ毎ページ何か仕出かしながら転がるように生きて、シャムに行ったり香港に行ったり東京から熊本、長崎、上海と走り回っている。わしもがんばらねば、人に迷惑かけたり嫌われたりしていても何の問題が有るのであろうか、と励まされますよ。

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