髑髏汝何物(髑髏、汝は何物ぞ)(「髑髏楽歌」)
楽しいでしょうね。

おいらはだんだんドクロ化中。そういえば確かに二十歳ぐらいから何も考えていないので、すでにドクロだったかも。
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これは明治時代の人の詩です。この人はどんな人でしょうか。A)政治家 B)外交官 C)志士
古塚累累空山曲、雨摧風残万骨暴。
古塚累累たり空山の曲、雨は摧(くだ)き風は残し万骨暴(あば)かる。
古いお墓が、誰もいない山の谷間にるいるいと並んでいる。
雨が降って壊し、風が吹いて削り、(墓は崩れて)たくさんの骨がむき出しになっておる。
何だか凄惨な光景だが、
中有一丸枯髑髏、寒光粼粼白如玉。
中に有り一丸の枯髑髏、寒光粼粼(りんりん)として白きこと玉の如し。
その中に一つ、まるいカサカサのドクロがあって、
寒々とした光をちらちらと不気味に放ち、まるで玉のように白いのだ。
男耶女耶不可知、何況賢愚将尊卑。
男や女や、知るべからず、何ぞ況んや賢愚を、将(は)た尊卑をや。
オトコのドクロか女のドクロかわからない。
まして賢いやつか愚かなやつか、あるいは身分が高かったか低かったか、なんて。
命壓人頭無物我、縦有早晩同一帰。
命(めい)は人頭を圧(おさ)えて物我無く、縦(たと)い早晩は有るも同一に帰せり。
運命が結局人間の頭を押さえ付けて、今では自分も他者も無い状態にし、
たとえ早いか遅いかの違いはあっても、最後は同じところに帰るのだ。
この対句はいいですね。
ドクロは今や、
憐他世上労生者、利奔名走争琑琑。
憐れむ、他(か)の世上の労生者の、利に奔り名に走り琑琑(ささ)なるを争うを。
憐れんでいるぞ、あの現世に苦悩して生きているやつらが、
利益や名誉に奔走して、ほんの少しのことを争いあっているのを。
現世のやつらは、
二六時中無安息、心焦胸爛口吐火。
二六時中安息無くして、心胸を焦がし口火を吐く。
一日十二刻(寝ている間も?)、安心して休息することもできず、
心の心配が胸を焦がし、口からは火を吐いている(ような生活なのだ)。
ほんと、これは可哀そうですね。わたしもこんなふうに振る舞うように圧をかけられていたのです。令和の初めぐらいまでは。
嗟乎、髑髏髑髏汝何物。
嗟乎(ああ)、髑髏、髑髏、汝何物ぞや。
ああ! ドクロちゃんよドクロちゃんよ、そなたは一体何者なのじゃ?
一脱人間百年苦、不関富貴如浮雲、不懼苛政猛於虎。
一たび人間(じんかん)百年の苦を脱し、富貴に関せざること浮雲の如く、苛政の虎よりも猛きを懼れず。
人間世界の最長百年の苦悩からひょいと逃げ出してからは、財産も地位もまるで流れていく雲のように気にならず、何よりも怖ろしい厳しい政治をさえ恐れることはなくなったとは。
羨ましいでしょう。
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本朝・陸奥福堂「髑髏楽歌」(髑髏の楽しみの歌)(木下彪撰「明治大正名詩選」前篇(昭和十二年アトリエ社刊)所収)。陸奥福堂の「福堂」は雅号で、諱は宗光、いわゆる「カミソリ陸奥」のだんなでやんす。へへへ。(筆者は、相手がえらい人だと知ると急に卑屈になるのだ。)
仙台監獄に六年間ぶちこまれていたころの感興なども下地にあるのでしょう。
今日は部屋の中でもあんまり寒いので寒光粼粼のドクロちゃんとなりそうです。寒々とした感じを現わすために、紫と青で統一してみました。