君人之言(人に君たるの言)(「史記」)
みなさん知ってることだから読まなくていいですよ。

人に押し付けようとするとかえってウンが悪くなるかもだぜ。政治家につけちゃえばいいのかも。
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春秋の時代、宋の景公三十七年(前480)のこと、
熒惑守心。心宋之分野也。
熒惑(けいこく)心を守る。心は宋の分野なり。
天上の星を二十八の宿に分けて、それぞれに地上の一定地域を当てはめ(〇〇宿は✕✕国の「分野」、という言い方をします)、天上に起こったことが地上に起こるのだ、という占星理論を「分野説」といいます。
熒惑(けいこく)は星の名。後世は火星のことだということになりますが、この時期はまだ火星ではなく、彗星や超新星など「妖星」の一種だとされていました。「心」は「心宿」のことで、東方の夜空にいる巨大な龍の心臓に当たるとされる星域。だいたい今のさそり座の一部、といわれます。
変な星が現れて、龍の心臓座のあたりにとどまって動かない。龍の心臓座は当時の最新理論では地上における宋の国のできごとを反映する、とされていた。
景公憂之。
景公はこれを憂えた。
景公はこのことをたいへん心配した。
「熒惑」は戦争や飢饉、要人の死など、悪いことを惹き起こす星だからである。
天文官の司馬子韋が言った、
可移於相。
相に移すべし。
(熒惑星のもたらす)悪い運勢を(君主のあなたではなく)大臣の誰かに移してしまいませんか。
「そんなことが出来るのか?」
というような疑問は、古代のひとは持ちません。何しろ最新理論です。量子力学だと思ってください。
景公は言った、
相吾之股肱。
相は吾の股肱なり。
「大臣はおれの股とか肱のようなものだぞ」
そこをやられたら動けなくなるぐらい重要な機関なのだ。だから、大臣には移さない。
可移於民。
民に移すべし。
「では、人民に移してしまいましょう」
君者待民。
君なるものは民に待つ。
「君主というのは、人民がいてはじめて成り立つものなのだ」
だから、人民には移さない。
可移於歳。
歳(さい)に移すべし。
「では、今年の収穫に移してしまいましょう」
禍いは収穫になすりつけて、収穫を減らして、君主や国には迷惑をかけさせない、という考えです。そんなことできるか、と思うと思いますが、最新理論です。疑ってはいけません。
歳饑民困。吾誰為君。
歳饑(う)うれば民困ず。吾、誰か君と為す。
「今年の収穫が凶作なら、人民が苦しんでしまうではないか。この国の人民が苦しんでいたら、誰がおれを君主として扱ってくれるのか」
子韋は言った、
「いやあ、これはよかった。
天高聴卑。君有君人之言三。熒惑宜有動。
天高けれども卑きに聴く。君、人に君たるの言、三有り。熒惑よろしく動き有るべし。
「天は高いところにあるけれど、賤しい身分の者の言葉にこそ応える、と申します。殿は、今、人民の上に立つ君主にふさわしいことを三つおっしゃいました。これに感動して、熒惑星は動き出すことでございましょう。
いや、確実に動き出します。断言できますぞ」
恒星なら動きませんが、なにしろ妖星ですから、動かないなあと思っていたら、突然動き出したりする。天上を移動して「宋の分野」から外れてくれればそれでいいのです。
ほんとかなあ。
於是候之、果徙三度。
ここにおいてこれを候うに、果たして三度徙れり。
そこで、どうなるか天体観測をしていると、(数日のうちに)結局、三度ほど場所を移した。
三度は天球の百二十分の一ですが、別の星座に移ってしまった。
景公はあと二十七年生きて、六十四年(前453)まで生きています。だがその没後、宋は混乱し、亡国への道を歩み始めるのであった。
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「史記」巻三十八「宋微子世家」より。同じ話をしている「呂氏春秋」の方が古いのでそちらから引用したかったのですが、発見できないので、「史記」を典拠にさせていただきました。そのほか「淮南子」や「新序」にも出てくる、古代の有名説話なので、みんな知ってると思います。知らなかった人も「い、いや、知っていましたじゃよ」と言って、今回を機会に覚えておかないといけません。