皆在其所褻 (みなその褻るるところに在り)

先生がおっしゃった。
小人溺于水、君子溺于口、大人溺于民。皆在其所褻也。
(小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺る。みなその褻(な)るるところに在り。)
一般人は水に溺れる。優秀な人は弁論に溺れる。指導的立場にある人は人民に溺れる。どの場合も、馴れたものに危険が潜んでいるのでる。
――どういうことですか。
夫水近于人而溺人。徳易狎而難親也。易以溺人。
(それ、水は人に近くして人を溺(でき)す。徳狎れやすくして親しみ難きなり。以て人を溺しやすし。)
ほい。水というものは人間の側にあるものだが、人を溺死させることもできるものである。その性質(「徳」)は馴れやすいのだが、危険でもある。だから一般の人は水に溺れやすいのだ。
口費而煩。易出難悔。易以溺人。
(口は費にして煩なり。出だしやすくして悔い難し。以て人を溺しやすし。)
「費」はここではおそらく「ふつ」と読んで「効用がある」の意。「煩」はしゃべる人ではなく話される相手にとって不愉快なものとなる、の意らしい。
口から出る弁論は、役に立つが相手には嫌われることがある。コトバは出ていきやすいが、後で取り返しがつかない。だから優秀な人は、弁論に溺れやすいのだ。
夫民閉于人而有鄙心、可敬不可慢。易于溺人。
(それ、民は人に閉ざすも鄙心有り、敬すべくして慢(みだり)にすべからず。人を溺するにやすし。)
ほい。人民というのは指導者に対して心を開いてくれないし、古い考えにしがみついている。つつしみ深く対応すべき存在であり、いい加減にすべきではない。そして指導者を溺れさせやすいのだ。
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「礼記」緇衣篇第三十三より。古い文章なので完全に同じ構造にはなっていません。「口」のところに「ほい」が無いのがさびしいですね。内容は、古代のコトバなので大したことないから、百回ぐらい読んで心に刻みつけておくぐらいでいいと思いますよ。 ―――(2023.2.6)
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