2月5日 雪降ってきました。地域動物凍える

垂韁之義(垂韁(すいきょう)の義)(「与物伝」)

いいやつもいるようです。

おいらの悪口言ってるんではないでヒヒン?

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五胡十六国の時代のこと、

大苑献千里馬于苻堅。

「大苑」は西域にあった国。「フェルガナ」。苻堅は一時期華北を統一した前秦の第三代皇帝です(在位357~385)。

苻堅乗与姚萇戦敗、堕坑中。

姚萇(ようちょう)は苻堅のライバルで、はじめは同盟者、後に叛旗を翻し、後秦の初代皇帝(在位384~386)になった人です。

穴から這い出られそうにない。

(もう逃げられないか・・・)

と思ったとき、

馬垂韁跪膝向堅。

(ありがたい)

堅得出。

さて、出格生(著者の自称)曰く、

予幼聞先慈淑母氏云。馬有垂韁之義、犬有灑草之恩。

―――だから、ドウブツは大切にしなければいけないよ。

当時はくそガキでしたから、

蓋不知出苻堅与楊生。今観之慨然思三十年前語也。

三十年経っておふくろのことばを思い出すなんて、悲しいのか懐かしいのか、「慈淑母」(やさしくてしとやかなおふくろだった)と言ってるんだから、なんとなくじわっとしたのでしょう。

さて、このように、

犬馬食人食報之。今人食人食背之。哀哉。

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明・王文録「与物伝」より。「与物伝」は「物」=ドウブツに与する、ドウブツたちの偉さ賢さを証明する、という趣旨で三国以降明代までのエピソードを集めたものです。

と、ここで、

「ウマの垂韁の義(手綱を垂れて義理を立てる)はわかったが、イヌの灑草の恩とはどんな恩なのか」

というみなさまがご質問するのが目に浮かびます。ああ、みなさんは鋭いところをお突きになる。オロカな人間に生まれながらウマやイヌ並みに賢くていらっしゃいます。えらいですなあ。

それではわんこの話はまた明日。ネコも鳥もありますよ。

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