垂韁之義(垂韁(すいきょう)の義)(「与物伝」)
いいやつもいるようです。

おいらの悪口言ってるんではないでヒヒン?
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五胡十六国の時代のこと、
大苑献千里馬于苻堅。
大苑、千里の馬を苻堅に献ず。
「大苑」は西域にあった国。「フェルガナ」。苻堅は一時期華北を統一した前秦の第三代皇帝です(在位357~385)。
西域の国フェルガーナから、一日に千里(400キロ)を走るという特産の名馬が献上されてきた。
苻堅乗与姚萇戦敗、堕坑中。
苻堅乗りて姚萇と戦いて敗れ、坑中に堕つ。
苻堅はこのウマに乗って、姚萇(ようちょう)との戦いに出かけたが、負けて逃げる途中で落馬し、そのまま穴に落ちてしまった。
姚萇(ようちょう)は苻堅のライバルで、はじめは同盟者、後に叛旗を翻し、後秦の初代皇帝(在位384~386)になった人です。
穴から這い出られそうにない。
(もう逃げられないか・・・)
と思ったとき、
馬垂韁跪膝向堅。
馬、韁(きょう)を垂れて堅に向かいて跪膝す。
ウマが戻ってきて、穴を覗き込み、苻堅の方に向かって前足の膝をつき、手綱を垂らしてくれた。
(ありがたい)
堅得出。
堅、出づるを得たり。
苻堅は、その手綱に捕まって地上に出て、なんとか逃げ延びることができました。
さて、出格生(著者の自称)曰く、
予幼聞先慈淑母氏云。馬有垂韁之義、犬有灑草之恩。
予、幼きに先慈淑母氏の云うを聞く。「馬に垂韁の義有り、犬に灑草の恩有り」と。
わしは、子どものころ、死んだやさしいおふくろから、こんなコトバを聞いたことがあった。
「ウマは手綱を垂れて義理を果たしてくれるもの、イヌは草に水を注いで恩を返してくれるもの」
―――だから、ドウブツは大切にしなければいけないよ。
当時はくそガキでしたから、
蓋不知出苻堅与楊生。今観之慨然思三十年前語也。
けだし苻堅と楊生に出づるを知らず。今これを観て慨然として三十年前の語を思えり。
この言葉がこの苻堅の話と、次に引用する楊生の物語から出来たのだ、とはわからなかった。今は大人になって、勉強してこんな文章を書くようになったが、この話を見て、悲しくなって、三十年も前のおふくろのコトバを思い出したのだった。
三十年経っておふくろのことばを思い出すなんて、悲しいのか懐かしいのか、「慈淑母」(やさしくてしとやかなおふくろだった)と言ってるんだから、なんとなくじわっとしたのでしょう。
さて、このように、
犬馬食人食報之。今人食人食背之。哀哉。
犬馬も人の食(し)を食らえばこれに報ず。今、人は人の食を食らいてこれに背く。哀しいかな。
イヌやウマでもひとから食べ物をもらったら、そのお返しをするものだ。ところが現在、ひとはひとから食べ物をもらっても、裏切る。哀れなことではないか。
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明・王文録「与物伝」より。「与物伝」は「物」=ドウブツに与する、ドウブツたちの偉さ賢さを証明する、という趣旨で三国以降明代までのエピソードを集めたものです。
と、ここで、
「ウマの垂韁の義(手綱を垂れて義理を立てる)はわかったが、イヌの灑草の恩とはどんな恩なのか」
というみなさまがご質問するのが目に浮かびます。ああ、みなさんは鋭いところをお突きになる。オロカな人間に生まれながらウマやイヌ並みに賢くていらっしゃいます。えらいですなあ。
それではわんこの話はまた明日。ネコも鳥もありますよ。