順帝之則(帝の則に順う)(「列子」)
今日の話はいい話ですよ。東洋系では理想の政治とはこうでなくては。「尚書」などにも出ております。

高くあがれ、物価、税金、社会保険。東京都税は安くすればいいということでは。
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堯治天下五十年、不知天下治歟、不治歟。不知億兆之願戴己歟。
堯は天下を治むること五十年、知らず、天下の治まれるや治まらざるやを。知らず、億兆の己を戴くを願うやを。
堯は天下を治めるようになってから五十年になった。天下が治まっているのか治まっていないのか、よくわからない。10万~100万人の国民が彼を君主として戴くことを願っているのかどうかもわからない。
そこで、
顧問左右、左右不知。問外朝、外朝不知。問在野、在野不知。
顧みて左右に問うも、左右知らず。外朝に問うも、外朝知らず。在野に問うを、在野知らず。
振り向いて、左右の近侍の者たちに訊いてみたが、近侍の者たちは「わからない」と言う。政府の役人たちに訊いてみたが、役人たちは「わかりませぬ」と言う。そこで、都市国家郊外の農民たちに訊いてみたが、農民たちも、「全然わからん」と言う。
そこで、
堯乃微服、游於康衢、聞児童謡。
堯すなわち微服して、康衢に游び、児童の謡を聞く。
堯はすぐに貧乏な服に着替えて、町の十字路にふらふら行って、子どもたちのうたう歌を聞いてみた。
そこに真理が預けられることが多いからである。
子どもたちがやってきて、歌って言った、
立我蒸民、莫匪爾極。不識不知、順帝之則。
我が蒸民を立てて、爾の極に匪(あら)ざる莫し。識らず知らず、帝の則に順う。
わしのとこのすべての人民の生活を成り立たせているのは、おまえの柱のおかげでないか。
意識もせずに知識も無しに、天の定めに随って暮らしている。
「おお」
堯喜問曰、誰教爾為此言。
堯、喜びて問いて曰く、「誰か爾のこの言を為すを教えたる」と。
堯は大喜びして、童子に訊いた、「おまえたちにこの歌詞を教えてくれたのは誰じゃな?」
童子ら曰く、
我聞之大夫。
我、これを大夫に聞く。
「これは、横丁のおっちゃんから聴いたんでちゅ」
「そうか」
問大夫、大夫曰、古詩也。
大夫に聞く、大夫曰く、古詩なり、と。
そこで、おっちゃんに訊いてみた。おっちゃんは言った、「古い詩でございます(誰が作ったわけでもございません)」と。
「よし」
為政者の努力にさえ目が留まらないほどシアワセなのだ。政策は完成である。
堯還宮召舜、因禅以天下。舜不辞而受之。
堯、宮に還りて舜を召し、因りて禅(ゆず)るに天下を以てす。舜は辞めずしてこれを受く。
堯は満足して宮殿に帰ると、娘婿の舜に天下の君主の位を譲った。舜は辞退することなく受け取った。
もう堯があらゆることを為し終えたことがわかったからである。
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「列子」仲尼篇より。いい話です。涙出て来るなあ。東洋に生まれてよかった。一人のひとが五十年ぐらいなんとかホールディングスを支配していれば、すばらしい企業になっていることでしょう。
ちなみに上の詩(我が蒸民を立て・・・)は前半が詩経、後半が尚書から引用して引っ付けてあるものです。紀元前7世紀ぐらいの「古い歌詞」かも知れませんが、堯や舜の時代にまでさかのぼるわけにはいきません。