為三説法(三説の法を為す)(「東軒筆録」)
今日は昔の職場仲間と飲み会。若いころのことを思い出すと、帰りに電車から降りたころから寂しくなってまいりましたが、PCの前でひと眠りしたらちょっと元気に。
そういえば今日のメンバーから、仕事が入ってきたら、1)実は他のひとがやるであろう仕事、2)自分がしなければならない仕事、3)自分がしなければならないが放っておけばなくなる仕事、に分類しなければならない、という「仕事三分の計」を教わったのでした。うまくいけば、達人のわざです。

なんにせよ、三つに分けてみよう。そして、「いい」のと「悪い」のは止めておこう。そうすればたいていの場合、しあわせになる・・・のではないか。ならないかも知れませんが。
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北宋の陳恕は字・仲言、洪州の人である。真宗のころ、専売や収税を掌る三司使となった。
将立茶法、召茶商数十人、俾各条利害。
茶法を立てんとして、茶商数十人を召して、おのおの利害を条せしむ。
茶の専売制度を作ろうということになって、茶の仲買商人数十人を呼んで、それぞれからこうすればいいとかこうしてはいけないとかいうアイディアを提出してもらった。
提出されたアイディアを並べて閲読していたが、やがてこれを区分して、
第為三等。
ただ三等と為す。
上・中・下の三種類だけに分けた。
それから、副使の宋太初に言った、
吾観上等之説、取利太深。此可行於商賈而不可行於朝廷。
吾観るに上等の説は、利を取ることはなはだ深し。これ商賈においては行うべきも、朝廷においては行うべからず。
「わしの見るところ、このうち、「上等」に分類した案は、利益が上がり過ぎる。商人はこの方法を使ってもうければいいかも知れんが、国の専売としてはダメだ。
利益は生産者、仲買人、消費者、それと国が分配すればいいので、国が儲けすぎてはいかんのだ」
「はあ」
下等固滅裂無取。惟取中等之説、公私皆済。吾裁損之、可以経久。
下等はもとより滅裂して取る無し。これ中等の説の公私みな済(すく)わるるを取るのみ。吾これを裁損すれば、以て久しきを経るべし。
「下等のはまったく無茶苦茶で参考にならん。中等に分類した案は、公の方も私の方も儲けが出るので、この中から採用して組み合わせるしかないだろう。わしらがうまく付け足したり削ったりすれば、長い間使える制度になると思うぞ」
「なるほど」
於是為三説法、行之数年、貨財流通、公用足而民富貴。
ここにおいて三説の法を為し、これを行うこと数年、貨財流通して、公用足りて民富貴なり。
かくして、陳の「三つに分ける方法」に従って(案を作り)、数年実行したところ、荷物もお金もうまく流通して(何しろ生産者も仲買人も儲かるからだ)、国の財政も足り、人民も富み、身分も向上した。
世言三司使之才、以陳公為称首。
世に言うに、三司使の才は、陳公を以て首と称せり。
世間では、財政担当の「三司使」をやらせれば、陳のだんなが歴代第一と謳われたものである。
後、陳恕は参知政事(副宰相クラス)となり、晋国公の爵位を贈られた。
その後、李諮が三司使になったとき、ずいぶん運送技術や流通範囲も変わっていたので、
改其法而茶利浸失、後雖屢変、然非復晋公之旧法也。
その法を改めるに、茶利ようやく失われ、後しばしば変ずといえども、また晋公の旧法に復するに非ず。
制度を変更したところ、茶専売による財政収入はどんどん減ってしまった。それで、いろいろと手直しをしたのだが、陳晋公の時代のようにはうまく行かなかった。
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宋・魏泰「東軒筆録」巻十二より。むかしうまく行った方法で今もうまく行くわけではないが、もう少し年寄の言うことも聴くといいのに・・・などと愚痴を言い合っていたわけではありません。みなさんまだ若くていろいろ活躍中です。