2月4日 これから暖かくなるはず。社会も。

樽空輟飲(樽空しくして飲むを輟む)(「剣南詩稿」)

立春おめでとうございます。

これはコロナのころに画いたものですね。「わしは鍾馗さまじゃなくて、エンマじゃ、うわー」との声が聞こえてきそうな臨場感だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

南宋の時代のことですが、立春したのに、

因貧甚、新歳不能易鍾馗。

この時代には、五月五日ではなく、おそらく一年中鍾馗の画を飾っていて、新年に取り換えていたことがわかりますね。

至若米尽晏炊、樽空輟飲、忍飢裁句、枵腹読書。

だが、わしは、

均能善自排遣、処之泰然。

自己責任で対処しているというのです。
歌いて曰く、

糴米帰遅午未炊、家人竊閔乃翁飢。

不知弄筆東籬下、正和淵明乞食詩。

自注にいう、

飢則臥不起、貧者之常也。

と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宋・陸游「剣南詩稿」巻六十一・六十三所収「自開歳陰雨連日未止」「貧甚戯作絶句」より。新春早々景気悪いですね。NISAができる人はもうかってるんでしょうけど、できない人はどうなっていくのかな。なお、肝冷斎は今日も変な野菜みそ汁みたいなの作って、味無いけど食いましたから大丈夫。味無いのは味覚障害ではなく、ホントに味つけが無いだけですからこれも大丈夫。

放翁・陸游が腹を空かせて読んでいた晋・陶淵明の「乞食」の詩も御紹介しておきます。

飢来駆我去、不知竟何之。行行至斯里、叩門拙言辞。主人解余意、遺贈豈虚来。談諧終日夕、觴至輒傾杯。情欣新知歓、言詠遂賦詩。感子漂母恵、愧我非韓才。銜戢知何謝、冥報以相貽。

あんまり深刻そうではありません。何故か。自己責任だと突き放されてないからでしょうか。あの世責任なのだ。

ホームへ
日録目次へ