樽空輟飲(樽空しくして飲むを輟む)(「剣南詩稿」)
立春おめでとうございます。

これはコロナのころに画いたものですね。「わしは鍾馗さまじゃなくて、エンマじゃ、うわー」との声が聞こえてきそうな臨場感だ。
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南宋の時代のことですが、立春したのに、
因貧甚、新歳不能易鍾馗。
貧甚だしきに因り、新歳に鍾馗を易うる能わず。
貧乏がひどくて、新しい年になっても鍾馗さまの画を取り換えることができていない。
この時代には、五月五日ではなく、おそらく一年中鍾馗の画を飾っていて、新年に取り換えていたことがわかりますね。
至若米尽晏炊、樽空輟飲、忍飢裁句、枵腹読書。
米尽きて炊くこと晏(おそ)く、樽空しくして飲むを輟め、飢を忍びて句を裁し、腹を枵(むな)しくして書を読むがごときに至れり。
コメが無くなってしまって(手に入れるために時間がかかり、)飯を炊くのが遅い時間になってしまっている。酒樽が空っぽだからお酒は飲まないことした。飢えをがまんして詩句を作り、腹を減らして読書する―――という状況になってしまった。
だが、わしは、
均能善自排遣、処之泰然。
均しく善く自ら排遣するを能くし、これに処して泰然たり。
どの問題にもよく自分でやり過ごすことができ、このような状況に対処してもゆったりしているのである。
自己責任で対処しているというのです。
歌いて曰く、
糴米帰遅午未炊、家人竊閔乃翁飢。
米を糴(てき)するも帰すること遅くして午もいまだ炊かず、家人竊(ひそ)かに乃翁(だいおう)の飢うるを閔(あわ)れまん。
コメを買いに行ったはずだが、行ったやつはなかなか帰ってこない(商談がまとまらないのだろう)。昼になってもまだご飯を炊けないので、家のやつらは口には出さぬが、このじいさんが腹を減らしているのを心配していることだろう。
不知弄筆東籬下、正和淵明乞食詩。
知らず、筆を東籬の下に弄して、正に淵明が「乞食」の詩に和せんとするを。
あいつらは知らんのじゃ、(わしはゆったりとして)東の籬の下に寝そべって筆をひねくりながら、ちょうど陶淵明の「食を乞う」の詩に応えるうたを作ろうとしているところなのを。
自注にいう、
飢則臥不起、貧者之常也。
飢すれば臥して起たざるは、貧者の常なり。
腹が減ったら寝転がったまま起きてこないのは、貧者のいつものやり方である。
と。
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宋・陸游「剣南詩稿」巻六十一・六十三所収「自開歳陰雨連日未止」「貧甚戯作絶句」より。新春早々景気悪いですね。NISAができる人はもうかってるんでしょうけど、できない人はどうなっていくのかな。なお、肝冷斎は今日も変な野菜みそ汁みたいなの作って、味無いけど食いましたから大丈夫。味無いのは味覚障害ではなく、ホントに味つけが無いだけですからこれも大丈夫。
放翁・陸游が腹を空かせて読んでいた晋・陶淵明の「乞食」の詩も御紹介しておきます。
飢来駆我去、不知竟何之。行行至斯里、叩門拙言辞。主人解余意、遺贈豈虚来。談諧終日夕、觴至輒傾杯。情欣新知歓、言詠遂賦詩。感子漂母恵、愧我非韓才。銜戢知何謝、冥報以相貽。
飢え来たりて我を駆り去き、ついに何れに之(ゆ)かしむるかを知らず。行き行きてこの里に至り、門を叩きて言辞を拙にす。
主人、余が意を解して、遺贈してあに虚来せしめんや。談諧して日夕を終え、觴至りてすなわち杯を傾く。
情は新知の歓を欣こび、言詠して遂に詩を賦せり。子が漂母の恵に感ずるも、我が韓才に非ざるを愧ず。
銜(ふく)み戢(おさ)めて知る、何の謝するところぞ、冥報以て相貽せん。
だんだん飢えてきたのでわしはじっとしていられなくなって飛び出したが、いったいどこに行けばいいのかわからない。
放浪してこの村に至り、とある家の門を叩いて、おずおずと言葉を出だす。
ご主人がわたしの言いたいことを理解してくれて、「どうして手ぶらで帰らせましょうか」と贈り物をくれた。
うれしく話し合っているうちに日が暮れて、さかずきが出てきたので自然と杯を傾けた。
新しく人に知り合えたよろこびに、コトバを紡いで歌をつくろう。
あなたは(韓信が貧しい時に飯を食わせてくれた)布さらしのおばさんのような恵みを垂れてくださったが、お恥ずかしいことにわたしは韓信のような才能が無い。
この恩を心に含み納めても、さてどうやってお返しすればいいものか。(そうだ、)あの世でお返し申し上げよう。
あんまり深刻そうではありません。何故か。自己責任だと突き放されてないからでしょうか。あの世責任なのだ。