2月28日 もう今月も終わり、卒業式だ

故破其瑟(故にその瑟を破りたり)(「史記」)

五十を二十五にしたり、二十五を五十にしたりすると本質が変わることもあるのだそうです。量の変化が質の変化を規定する、とかなんとか。

古代、審神(さにわ)を行うものは、琴の音によってエクスタシーを得、忘我の中で神のことばを伝えたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

漢・武帝の時のことですが、公孫卿というひとが、河南で神を見た、と報告してきた。

見遷人跡城上。有物如雉、往来城上。

遷人の跡を城上に見たり。物有りて雉の如く、城上を往来す。

とのことである。

武帝は河南に出かけて行って、仙人の足跡を見た。確かに足跡である。キジのようなものは、その日は出なかった。

武帝は言った、「文成や五利のようなことではないのだろうな」と。

文成も五利も、不老長生の方法があると言い、仙人の姿を見たと言い、ついに虚言と疑った武帝によって先年誅殺せられたばかりの寵臣である。

公孫卿は言った、

僊者非有求人主、人主求之。其道非少寛仮、神不来。

僊者の人主に求むるに非ず、人主これを求むるならん。その道、少しく寛仮にすに非ざれば、神来たらざるなり。

少々疑わしいところがあっても、信じなければなりません。

言神事、事如迂誕。積以歳、乃可致。

神事を言うは、事迂誕なるが如し。積むに歳を以てすれば、すなわち致すべし。

「そうか」

ここにおいて、

郡県各除道、繕治宮観名山神祠所、以望幸矣。

郡県おのおの道を除し、宮観名山神祠の所を繕治して、以て幸を望む。

この年、南越国を亡ぼすことに成功した。

上有嬖臣李延年、以好音見、上善之。

上、嬖臣・李延年を有し、好音を以て見(まみ)え、上これを善とす。

「音楽関係者をもっともっと宮廷にお入れくだされ」

と言われて、

帝は、公孫卿に諮問した。

民間祠尚有鼓舞之楽、今郊祠而無楽、豈称乎。

公孫卿は答えて言った、
「まったく、お殿さまの言うとおりにございます!」

古者祀天地、皆有楽。而神祇可得而礼。

或曰。

泰帝使素女鼓五十弦瑟、悲。帝禁、不止。

故破其瑟為二十五弦。

「なにすんだよ、このくそおやじ!」

と言ったか言わなかったかはわかりませんが、素女は半分になった瑟を弾いたところ、なおその音色は人を動かすに足りたが、度を越して悲しくはなかった。

・・・そうでございます。今こそ、音楽を興すべきときでございましょう。

於是塞南越、祷祠泰一后土、始用楽舞。益召歌児、作二十五弦及箜篌。瑟自此起。

公孫卿の運命がそろそろ心配になってきませんか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「史記」武帝本紀より。いまでもえらいひとのまわりはこんな感じで、二千年前とあんまり変化がないです。みなさんところはどうですか。

ホームへ
日録目次へ