特に悩み事はありません。
無病無憂(病い無く憂い無し)(「東坡題跋」)
給料は欲しいものであるが、現物支給ならお酒より米の方がいいなあ。岡本全勝さんが紹介してくれたおかげで昨日400人も来訪してくれたので気が大きくなってきましたので、ちょっと長めの引用をしてみます。

だいこくさまのご加護で金運アップできるかも。だが、現物支給の場合も「金運」だけでアップするのであろうか。
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唐の初めごろに門下省の待詔(天子の諮問を待機する専門職)であった東皐子(東の湿地の先生、というぐらいの自称)・王績という人は、
待詔楽乎。
待詔は楽しきか。
「待詔(の仕事)は(名誉なことであるが、諮問を待っているだけで楽しいはずがないと思うが、)楽しいのですか」
と問われて、
待詔何所楽。但美醞三升、殊可恋耳。
待詔は何の楽しきところぞ。ただ美醞の三升、ことに恋しかるべきのみ。
「待詔の仕事が楽しいわけないではないか。ただ、一日待機していると、毎日帰りに三升の美酒が支給されるのだ。これが思い切れない(ので辞表を叩きつけない)だけなんじゃ!」
と答えた、と自分で書いています。
さて、わたし(←誰でしょう)は下戸でして、
飲酒終日不過五合。天下之不能飲、無在予下者。然喜人飲酒、見客挙杯徐引、則予胸中為之浩浩焉、落落焉、酣適之味、乃過於客。
酒を終日飲むも五合に過ぎず。天下の飲む能わざる、予の下に在る者無からん。然るに人の酒を飲むを喜び、客の杯を挙げておもむろに引するを見れば、予の胸中これがために浩浩たり、落落たり、酣適の味、すなわち客に過ぐ。
お酒を一日中飲んでいても、五合もいかない。この世の中に、わたしよりお酒を飲めない、という人はまずいないであろう。ところが、他人が酒を飲んでいるのはうれしいのだ。お客がさかずきをぐぐぐーっと挙げて、おもむろに口から外すのを見ると、わたしの胸の中はそのせいではればれし、すっきりし、お酒の楽しみという点では、そのお客よりもわたしの方が大きいであろう。
変な人ですね。
そんなわけですから、
天下好飲亦無在予上者。
天下の飲むを好む、また予の上なる者無からん。
この世の中に、わたしよりお酒を飲むのが好き、という人もまずいないであろう。
ところで、
常以謂人之至楽、莫若身無病而心無憂。我則無是二者矣。
常に以謂(おも)うに、人の至楽は、身に病無く心に憂い無しきにしくなし、と。我すなわち是の二者無し。
いつも思っているのだが、人間の最高の楽しみというのは、体に病気が無く、心に悩み事が無い、という以上のものはあるまい。わたしはこの(病気と悩み事の)二つがありません。
うっしっしー!!!!!身に病いなく、心に憂い無し。すばらしい境涯である。
と、それだけで楽しいはずなのですが、
人之有是者接於予前、則予安得全其楽乎。
人の是有る者の予の前に接するあれば、予いずくんぞその楽しみを全うするを得んや。
この二者を持っている人が誰かわたしの目の前にい(て楽しく無さそうにしてい)たなら、わたしはどうして楽しみを完全に楽しむことができるでしょうか。
そこで、わたしは、その人の体の病気、心の悩み事がすっきりするように、
常蓄善薬、有求者則与之。而尤喜醸酒以飲客。
常に善薬を蓄わえ、求むる者有ればこれを与う。而して、尤も酒を醸し以て客に飲ましむるを喜ぶなり。
どこに行ってもいいクスリを持つようにし、欲しい人がいたら差し上げることにしている。そして、さらに、お酒を醸造して、お客に飲ませるのを一番の喜びとしているのである。
さて、わたしは今、嶺南・広州の辺地に飛ばされてきておりますが、
嶺南法不禁酒、予既得自醸。月用米一斛、得酒六斗。而五太守間復以酒遺予、略計其所獲、殆過於東皐子矣。
嶺南は法として禁酒せざれば、予既に自ら醸すを得たり。月に米一斛を用うれば、酒六斗を得。而して五太守、間にまた酒を以て予に遺り、ほぼその獲るところを計るに、ほとんど東皐子に過ぐ。
宋代の一斛は95リットル、一斗は9.5リットルぐらいで、現在の日本の一石・一斗のそれぞれだいたい半分ぐらいのイメージです。大したことないですね。
嶺南はお酒の専売制を敷いていないから、法的に自分でお酒を造っていいことになっており、わたしはもう醸造しました。一か月にコメを95リットルぐらい使うと、お酒が57リットルぐらいできる。それに、近くの五つの州の知事たちは、わしが元高級官僚だったことから、お酒をつけ届けてくれるから、これらの合計を合わせると、だいたい東皐子が毎日得ていた量を越えるのではなかろうか。
東皐子は一日三升でしたから、一か月で90升=九斗≒85.5リットルぐらい。
ところが、
東皐子自謂五斗先生。則日給三升、救口不暇、安能及客乎。
東皐子は自ら「五斗先生」と謂う。すなわち日に三升を給するも救口に暇あらず、いずくんぞよく客に及ばんや。
東皐子は、その文章の中で自分のことを「五斗先生」と名乗っている。一回に五斗≒47.5リットルぐらい飲む、ということである。そうすると、一日三升≒2,8リットルぐらいもらっても、自分の口を救うのにも足らないのだから、お客の分まで回るはずがない。
ところがわしの方は計算すると、だいたい、
日有二升五合、入野人道士腹中矣。
日に二升五合有り、野人道士の腹中に入らん。
一日に二升五合≒2.35リットルぐらいになる。(つまり一か月=30日で70.5リットルぐらいであるから、五人の知事から付け届けでもらっているのが13リットル強ということである。)しかもわたしは一日かかって五合しか飲まないのだから、毎日二升1.8リットル余るのだ。この分は、わたしのお客である田舎のおっさんや怪しげな道士たちの腹の中に納まるわけじゃ。
まあ、そんなことはいいとして、
東皐子与仲長子光游、好養性服食、預刻死日、自為墓誌。予蓋友其人於千載、或庶幾焉。
東皐子は仲長子光と游び、性を養い服食するを好み、あらかじめ死日を刻して自ら墓誌を為す。予、けだしその人を千載に友とすれば、あるいは庶幾(ちか)からん。
東皐子は仲長子光(仲長が名字)という人と親しくして、ともに自分の本性を大切にし、仙人になるための食事をして、自分の死ぬ日もあらかじめ決めて、自分でお墓に書く文章も作ったのである(これらは彼の文集に全部書いてあることだ)。わたしは、この人と、歳は千年ぐらい違うけれど(実際には500年ぐらいです)、友人になろうと思う。それが一番いいであろう。
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宋・蘇東坡「東坡題跋」巻一「書東皐子伝後」(東皐子の伝の後に書す)より。ということで、「わたし」は東坡先生でしたー。じゃじゃじゃーん。
唐の賢者・東皐子王績の詩文集「東皐子集」を東坡の友人がまとめた。友人がその書の付録に「東皐子伝」を書いたので、その後ろに書きつけた文章、ということです。あちこちに「東皐子が自分で書いている」という記述があるのは、書物の解説文の後書き、という性格の文章だからなんですね。
それにしても、かなり緻密な計算の必要な文章でした。肝冷斎も明確に下戸ですが、素面の時でも酔っているのではないかというぐらい緻密なことができないのです。しかし、これぐらいの計算はできるんじゃ!