公年已四十(公は年すでに四十なり)(「朱子語類」)
PC前のわずかな空間に坐して読書していたところ、壁に積みあがっていた書物が大崩れしてひどい目に遭いました。頭や腰などが埋まったのはいいが、その後何度積み直しても崩れて来るので、今は崩れたままにしておりますが、積み直しにえらい時間を食ってしまった。なんかいいこと書こうかなあ、と思ってたが止めである。ああもう止めだ、止めだ。人生も? いろんな意味で自分がイヤになってきました。どこかに相談に行こうかな。

勉強すべきときにしておかなかったからであろう。
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こんなときは、先生に教えを受けていたあのころのことを思い出してしまいます。
当時、書院に泊まり込んで午前は読書し、午後はお互いの発表を論評しあい、夕刻、食事を終えてから先生の講義を聞く、という日々であった。
その講義が終わった後、
毎夜諸生会集。有一長上、纔坐定便閑話。
毎夜諸生会集す。一長上有り、わずかに坐定まるにすなわち閑話せり。
毎晩、学生たちは集まって話し合っていた。一人、年かさの生徒(←これがわしである)がいて、みんなが座ったと思ったら、ついつい世間話をしはじめてしまった。
運の悪いことに、先生が自室にひきあげようとして傍らを通りかかり、この様子を見咎めてしまった。
先生はまず年かさの生徒(わし)の方に向かって、言った、
公年已四十、書読未通。纔坐便説別人事。
公は年すでに四十なるに、書読みていまだ通ぜず。纔かに坐してすなわち別人の事を説く。
きみはもう年齢は四十歳になろうとしているのに、古典を読んでもいまだしっかりとした読解ができていない。そのくせに、みんなで座ったかと思うと、もう他の人のうわさ話をしはじめる。
どういう了見なのか!
彼(わし)は一言も無くうなだれるばかり。
それから先生は、他のメンバーに向かって言った、
夜来諸公閑話至二更。如何如此相聚、不回光反照、作自己工夫、却要閑説。
夜来諸公、閑話して二更に至れり。如何ぞ此くの如く相聚まりて、回光・反照して自己の工夫を作さず、却って閑説を要(もと)むるか。
昨夜も君たちは、こんなふうに世間話をして午後十時~十一時ごろまでだらだらしておったではないか。どうして、こんなふうに仲間と集まっても、互いに光を当てあい、反省しあって、自分を高める努力をしないで、かえって世間話をしたがるのか。
「はあ・・・」
歎息久之。
歎息すること、これを久しくす。
先生は、しばらくの間、ためいきをついておられた。
―――ねちねち言いやがってうるせえ!!!
とは言えません。先生の期待に応えられず、若い者にまで悪い影響を与えてしまい、本当に情けない日々であった。
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「朱子語類」巻121葉賀孫録。相変わらず、「朱子語類」はすばらしい。八百数十年前ですよ。遠い昔の先生と生徒の、息遣いまで聞こえるようなこの臨場感と、如何にもありそうな親近感は、ちょっと他に無い味わいがあります。王陽明先生「伝習録」は緊張しすぎて別の世界だし、「禅語録」はかっこよすぎて作り物にしか見えないし。ちなみにこの時叱られているひと(わし)は歴史上なんという人だったのかわかりませんが、自分みたいでかわいいですよね。
わしだった、とすると、この時はまだ四十歳だったのですが、その後もう二十年も経って、今はもう誰にも怒られることがありません。学問や人間性が向上したとも思えないのに、みんな放っておいてくれます。眼はかすみ、物忘れひどく、心臓とか悪くなってきましたが、のんびりしたものだ。向上心なんか無いのだから書物が崩れたぐらい大したことではないのだ。もうどうでもいいのだ。