2月26日 カネのために命も惜しまないのか

吾債了矣(吾が債、了せり)(「右台仙閣筆記」)

おカネが無ければみんなシアワセになれたのカモ知れません。

ウシはマジメに働くタイプでもー。岡本全勝さんに紹介されたでもー。

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清の時代のことですが、

有舅負其甥銭二十万者、自言無力償之、死則為牛以償耳。

「舅」はもちろん妻の父も指しますが、ここでは「母方の伯父」のことです。

已而其舅死、甥家即於是日生一犢。甥知其為舅也。不以常牛畜之、毎出游、必与倶。

ある日、

途遇一叟、負盆盎之属、而鬻於市。

牛触之、砕其盆盎。叟怒撻牛、甥急止之曰、此吾舅也、願勿撻、吾当償盆盎。

「ほう、そうか、おまえさんが飼い主か。それにしても「おじさん」とな?」

叟異其言、問之、告以故。

すると、老人は顔色を変えて、

若舅為誰。

と訊いてきた。

告以姓名、叟曰、此人在日、吾負其銭若干、未有以償也。今計盆盎之値適如其数。

だから、差し引きで弁償は要らん。それよりも、ありがとう。ずっと気になっておったのじゃ」

老人は甥の手を握って言った、

吾債了矣。

欣然而去。

甥は「相手がわかっていてやったんだな」とウシの頭を撫でたが、ウシは「もー」と知らん顔をしているばかりであった。

またある日、

遇重車陞甗、号而求助。

あまりに重すぎるようで、甥は子牛には無理かと逡巡したが、

牛助之。

たいへん重い車で、子牛は何度も何度も喘ぎ、ふらふらになった。

既登、重人謝曰、君恵吾甚厚、可値銭二百千也。

「おじさん、二十万銭だ」

と言ったか言わないかのうちに、

牛長鳴而斃。

「よかったな」

甥は死んだ子牛の頭を撫でて祝福した。

運送屋は申し訳ながって、さらに数万銭を払おうとしたが、甥は、
「そんなことをされたら、今度はまたわたしが返さなければならなくなりますから」
と丁重に断ったということである。

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清・兪樾「右台仙閣筆記」巻十より。原始時代にはそんなことは無かったであろうに、文明社会ではおカネが転生をも支配することになってしまったのです。おカネの無い時代にはそんなことにはなっていなかったであろうに。「徳」とか「気合」とかを貸し借りしていたのかも知れませんが。

ちなみに、現代では、税金は再分配されるのではなくて、政府が政策に利用する資金の起債のための担保でしかないんだそうです。したがって税金払っても必要な人のところに回ることはないので、善良な市民は払わなくても道徳的には問題がない、との説があるそうですよ。なるほどなあ。

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