本朝一物(本朝の一物(いちもつ)なり)(「続本朝往生伝」)
予告通りにしないと「何故予告通りではないのか」など鋭い質問を受ける可能性があるので、もっと短い、いい加減なのにしようかと思ったんですが、なんとかがんばりました。

悪いやつらは他にもたくさんいるぞ。
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天狗ネコの自分語りが続きます。
延長祈祷が行われ、
第二日暁、以鉄網入我、置於炉壇火中。焦灼為煨燼。
第二日暁、鉄網を以て我を入れ、炉壇の火中に置く。焦灼して煨燼と為れり。
二日目の早朝、おれは(護法童子たちに見つかり、)鉄の網に中に入れられて、祈祷中の護摩壇の火の中に入れられたんにゃ。おれは焦げ、焼け尽きて、灰になってしまった。
祈祷がすべて終わり、おれの灰を含めて、護摩壇は家の者たちに片づけられた。ありがたいことに、彼らは、しろうとだったんにゃ。
及捨壇灰、幸置厠辺。便就食気蘇生。
壇の灰を捨つるに及びて、幸いに厠辺に置く。すなわち食気に就きて蘇生せり。
壇の灰を棄てるとき、彼らは(おれにとって)幸いなことに、便所の近くに捨ててくれた。おかげで、糞便の中に残った食べ物の「気」を吸い込んで、おれは生き返ったんにゃよ。
しかし、
居此処六年。
この処に居ること六年なり。
ここに六年間、居続けたんにゃ。
なぜかというに、術を仕掛けたやつらは「くろうと」だった。
若欲出門、則護法独猶拘留。
もし出門せんと欲せば、すなわち護法独り、なお拘留す。
屋敷の門から出ようとすると、護法童子が一人だけまだ見張っていて、おれは出ることができにゃんだのにゃ。
六年間かけて、ようやく屋敷内の下水の流れ先を突き止めて、その出口からおれは外に出ることができた。さすがの護法童子も、一人だけではここまで監視することはできなかったのにゃんぞ。
於是知此人為本朝一物。必欲到嬈乱、仍至花山。
ここにおいて、この人、本朝の一物為るを知る。必ず嬈乱(にょうらん)に到らしめんと欲し、仍りて花山に至れり。
こういうことで、おれはこの遍照が我が国の一番のすごいやつだということを知った。今度こそ、悩ませ苦しめてやろうと思って、おれは花山寺に行ってみた。
「一物」というのはこういう意味です。
さて、花山に行ってみたところが、
他所難居。住厠辺三年、僧正毎来、護法五六人必守護之。終不得其隙。
他所居り難し。厠辺に住すること三年、僧正来たるごとに、護法五六人必ずこれを守護す。ついにその隙を得ず。
あそこはおれたち悪モノには居ずらいところだったんにゃ。おれは一番相手を狙いやすい便所の周辺に三年間潜んでいたが、僧正がやってくると、一緒に護法童子が五六人ひっついてきて、いつもガードする。とうとう憑りつくことができなかったにゃあ。
そこで、おれは考えたんにゃ。
最期臨終可成其妨。
最期臨終にその妨げを成すべし、と。
「臨終の時に邪魔をして雑念だらけにすることができるんではにゃいか」と。
でも、甘かった。
尋其命期、雖向彼山、護法衛護、聖衆来迎。
その命期を尋ねて、彼の山に向かうといえども、護法衛護し、聖衆来迎す。
そろそろ臨終のころだと思って、かの花山に行ってみたのだが、まわりは護法童子が護衛しており、阿弥陀如来とともに極楽のありがたい菩薩たちがお迎えにお見えになる手はずになっていた。
おれにゃんかが近づける状態ではにゃかったんにゃよ。
敢不能入於二三里之内、唯聞空中管弦、望山上雲気而止。
敢えて二三里の内に入る能わず、ただ空中の管弦を聞き、山上の雲気を望みて止む。
約10キロ以内には無理にも入ることはできず、ただ、空中に妙なる音楽が聞こえ、山の上に雲がたなびいているのを見ることができるだけであった。
おれは敗北感よりも、なんとありがたいお方と結縁できたことかと、合掌してその往生を心の底から喜んだのだったにゃ。
以上。
なんと、執拗に復讐を狙ったこの天狗ネコの独白のせいで、僧正遍照が極楽往生したことが証明されたのです。
本伝在国史、今恐伝異聞而已。
本伝は国史に在り、今恐るらくは異聞を伝うるのみならん。
僧正遍照さまの本来の伝記は六国史とかに載っている(実際には無い)であろうから、今ここでみなさんにお伝えしたのは、それとは別の伝記になっているかも知れない。
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本朝・大江匡房「続本朝往生伝」より。おもしろかったですね。しかし「往生伝」がすべてこんなにオモシロいわけではありません。
語りの視点から本書でとりわけ際立つ伝が遍照伝である。・・・この伝は反仏法の権化ともいうべき天狗の視点から、遍照の力を試そうとして逆に撃退される体裁で、遍照の驗徳と往生の様をとらえる。特異な語りの視点と構造で注目される。(「日本往生極楽記・続本朝往生伝」(2024岩波文庫)小峯和明「解説」より)
ということで、この伝だけの特別は構成なんだそうです。