或活或死(或いは活き或いは死す)(「続本朝往生伝」)
今日も食べ過ぎ。あらゆる術は尽きた。もうどんどん体重増だ。

いろんな仲間がいるのでにゃん。
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平安時代中頃、寛平のころ(9世紀末)だと思われるのですが、
天狗托人曰。
天狗、人に托して曰う。
天狗が、ひとに憑いて、言った。
「天狗」は後世「テング」と訓じて鼻の高いやつとか烏のやつになりますが、この時代ではなだチャイナの原義どおり、「天のイヌ」です。ただし、この「イヌ」は我々が知っている忠実なドウブツではなく、オオカミやキツネ、あるいはヤマイヌのイメージにつながるずる賢くて悪いやつ、だと思ってください。でも「イヌ」と言っているとどうしてもイメージがミスマッチしますので、今日はこいつを「悪い天のネコ」(天狗ネコ)として訳出します。
さて、天狗ネコが人に憑いて言いますには、
貞観之世、住於北山。
貞観の世に、北山に住めり。
貞観年間(859~877)のころ、おれは京都の北山に棲んでいたんにゃよ。
おれは、この時代におれを負かすぐらいのすごい法力を持った僧侶がいるものかどうか知りたくなって、ある時、小僧に身を変えて山道に立ち、通りがかったキコリに頼んで、「えらい人のところに連れて行ってくれ」と頼んだ。キコリは、おれを時の右大臣の屋敷の前まで連れて行ってくれた。
おれは夜中になると、姿を消して飛び上がり、
便到寝殿、以足踏右相胸。称有頓病、家中大騒。
すなわち寝殿に到り、足を以て右相の胸を踏む。称して頓病有りとし、家中大いに騒げり。
すぐに寝殿に行って、足で寝ている右大臣の胸を踏んでやった。
「ぐぐ、苦しい・・・」
急病になったと言って、家中大騒ぎしはじめたんにゃぜ。
挙足下足、或活或死。請当時名徳、敢無可畏之人。
足を挙げ足を下げるに、或いは活し或いは死す。当時の名徳を請ずるも、敢えて畏るべきの人無し。
足を挙げると生き返り、踏みつけると「むぎゅう」と言って死んでしまう。これはおもしろいにゃぜ。家人たちは有名な徳のある僧侶を次々の呼んだが、おれがコワがるようなやつは一人もいなかったんにゃ。
それでいい気になっているうちに、翌々日、家司が「こうなったら、花山寺の僧正をお呼びしてみよう」と言い出した。こいつは、桓武天皇の孫にあたり、もとは良峯宗貞と名乗る有能な役人であったらしいが、出家して「遍照」と名乗っているという。
午前中に依頼したら、午後早くにはもう「間もなくまいります」という連絡が来た。おれは迎え撃つ準備がまだ十分にはできていなかった。
この連絡文を持ってきたのは、
総角二人、捧白杖。我頗恐之。
総角(あげまき)二人、白杖を捧ぐ。我すこぶるこれを恐る。
あげまきの童子が二人で、それぞれ白い杖をうやうやしく捧げ持っていた。(まずい!)おれはこの白い杖に弱いのだ。
(おれの正体を知っているのかにゃ?)
暫而為塗壇場、承仕以下到来。
暫くにして壇場を塗らんがために、承仕以下到来す。
しばらくすると、祈りを捧げる壇をしつらえるため、職人頭以下のやつらがやってきた。
密教の祈祷を行う「壇」は、東アジアでは木組みですが、インドでは泥を固めて作ることになっていたので、これをしつらえることを「塗る」というのだそうです。勉強になった。
それだけではなく、さらに
有護法五六人。
護法五六人有り。
「護法」は「護法童子」で、神通を以て仏法や僧侶を守る善神。天狗ネコはさらっと言ってますが、ニンゲンではありません。
護法童子が五六人来て、周囲を調べ始めたのにゃ。
入夜僧正光臨。護法数及十余人。
夜に入りて僧正光臨す。護法の数、十余人に及べり。
夜になったころ、僧正が光りを放ちながらお見えになった。この時には、護法童子の数はいつの間にか十数人に増えていたのにゃ。
(しまったにゃ!)
我漸収足、不能任意。相忍而居。
我漸く足を収むるも、意に任す能わず。相忍びて居れり。
おれは(踏んづけていた)足をしまいこんだが、もう体は思い通りには動かなくなっていた。そこで、ガマンしてじっと身動きせずにいたんにゃ。
修法七日之間、病已平癒。未及伏我。
修法七日の間、病いすでに平癒す。いまだ我を伏するには及ばず。
祈祷は七日間にわたって行われ、右大臣の病いは完全に癒された。おれの術は失敗にゃ。だが、この時点では、おれはまだやっつけられていなかったから、祈祷さえすめば逃げ出したり復讐したりできるはずだった。
ところが、家司のやつが要らんことを言ったんにゃ、
延以二日間。
延ばすに二日間を以てせん。
「念のためでございます、あと二日の間、祈祷をお続けくだされ」
にゃ、にゃんと。
此時術尽已失方計。
この時、術尽きてすでに方計を失えり。
この時点で、おれはもう術が尽きていて、どうしようも無かったのにゃ・・・。
さて、悪い天狗ネコはどうなりますのやら、明日のお楽しみ!
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本朝・大江匡房「続本朝往生伝」より。「をとめのすがたしばしとどめむ」、坊主のくせに少女に興味を持つとは、くすくす、とみなさん一度は思ったことのあるであろう百人一首歌人・僧正遍照がこれほどの術師であったとは。イメージがミスマッチでした。これからは「へへへ、僧正さま、ごきげんよろしう」と下手に出るようにせねばなりませんぞ。