2月25日 イメージのミスマッチは困るにゃん

或活或死(或いは活き或いは死す)(「続本朝往生伝」)

今日も食べ過ぎ。あらゆる術は尽きた。もうどんどん体重増だ。

いろんな仲間がいるのでにゃん。

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平安時代中頃、寛平のころ(9世紀末)だと思われるのですが、

天狗托人曰。

「天狗」は後世「テング」と訓じて鼻の高いやつとか烏のやつになりますが、この時代ではなだチャイナの原義どおり、「天のイヌ」です。ただし、この「イヌ」は我々が知っている忠実なドウブツではなく、オオカミやキツネ、あるいはヤマイヌのイメージにつながるずる賢くて悪いやつ、だと思ってください。でも「イヌ」と言っているとどうしてもイメージがミスマッチしますので、今日はこいつを「悪い天のネコ」(天狗ネコ)として訳出します。

さて、天狗ネコが人に憑いて言いますには、

貞観之世、住於北山。

おれは、この時代におれを負かすぐらいのすごい法力を持った僧侶がいるものかどうか知りたくなって、ある時、小僧に身を変えて山道に立ち、通りがかったキコリに頼んで、「えらい人のところに連れて行ってくれ」と頼んだ。キコリは、おれを時の右大臣の屋敷の前まで連れて行ってくれた。

おれは夜中になると、姿を消して飛び上がり、

便到寝殿、以足踏右相胸。称有頓病、家中大騒。

挙足下足、或活或死。請当時名徳、敢無可畏之人。

それでいい気になっているうちに、翌々日、家司が「こうなったら、花山寺の僧正をお呼びしてみよう」と言い出した。こいつは、桓武天皇の孫にあたり、もとは良峯宗貞と名乗る有能な役人であったらしいが、出家して「遍照」と名乗っているという。

午前中に依頼したら、午後早くにはもう「間もなくまいります」という連絡が来た。おれは迎え撃つ準備がまだ十分にはできていなかった。

この連絡文を持ってきたのは、

総角二人、捧白杖。我頗恐之。

(おれの正体を知っているのかにゃ?)

暫而為塗壇場、承仕以下到来。

密教の祈祷を行う「壇」は、東アジアでは木組みですが、インドでは泥を固めて作ることになっていたので、これをしつらえることを「塗る」というのだそうです。勉強になった。

それだけではなく、さらに

有護法五六人。

「護法」は「護法童子」で、神通を以て仏法や僧侶を守る善神。天狗ネコはさらっと言ってますが、ニンゲンではありません。

入夜僧正光臨。護法数及十余人。

(しまったにゃ!)

我漸収足、不能任意。相忍而居。

修法七日之間、病已平癒。未及伏我。

ところが、家司のやつが要らんことを言ったんにゃ、

延以二日間。

にゃ、にゃんと。

此時術尽已失方計。

さて、悪い天狗ネコはどうなりますのやら、明日のお楽しみ!

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本朝・大江匡房「続本朝往生伝」より。「をとめのすがたしばしとどめむ」、坊主のくせに少女に興味を持つとは、くすくす、とみなさん一度は思ったことのあるであろう百人一首歌人・僧正遍照がこれほどの術師であったとは。イメージがミスマッチでした。これからは「へへへ、僧正さま、ごきげんよろしう」と下手に出るようにせねばなりませんぞ。

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