2月24日 不透明な「中抜き」になっていないか

転種福田(福田に転種す)(「幾希録」)

年金機構の広告ではありません。

「なにか知らんが老害みたいだからやっつけてしまえ!」「わ、何をする、話せばわかる!かも。」
1955年のわずか20年ぐらい前はこんな感じの世相だった?

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清の時代のことですが、

披髪婆子、年約八十余、不知何処人、在沁水県東門内。

「住んでいた」のではなく、ホームレスなので「在った」という言い方になっています。

ばばあは、

往来求乞、口念彌陀不絶声、人憐其老、多施銭米。

「ひっひっひ、今日もたんまりといただけたぞえ」

ばばあは、自分に必要な分だけ取ると、

即転施孤苦飢民。

「転売ヤー」ではありません。タダで施しているのです。この「元売り」とも比較してみましょう。

そのとき、いつもこう言っていた、

我代施主転種福田也。

と。

「みんなが得をするんだよ、ひいっひっひっひっひ」

すばらしい。新自由主義的には「自分だけ」「おともだちだけ」しか得してはいけないので、「みんな」が得をすると怒ってくると思いますが。

後、里人見五色雲起草市中、見婆坐逝。異香郁然。

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清・仲瑞五堂主人「幾希録」より(近人・袁嘯波編「民間勧善書」所収)。施主もばばあも苦しんでいるひともみんな得するすぐれたビジネスモデルを考案したので、雲が出たのです。
みなさん、来世で役に立つようにお金を使いたいときは、年寄(じじい含む)に呉れてやるといいと思いますよ。うっしっし。ひいっひっひっひっひ。

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