転種福田(福田に転種す)(「幾希録」)
年金機構の広告ではありません。

「なにか知らんが老害みたいだからやっつけてしまえ!」「わ、何をする、話せばわかる!かも。」
1955年のわずか20年ぐらい前はこんな感じの世相だった?
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清の時代のことですが、
披髪婆子、年約八十余、不知何処人、在沁水県東門内。
披髪の婆子(ばす)、年約八十余にして何処の人なるかを知らざるが、沁水県の東門内に在り。
髪をぼさぼさにしたばばあ、年齢はおよそ八十歳以上で、出身地もわからないのが、山西・沁水の県城の東門のあたりにいた。
「住んでいた」のではなく、ホームレスなので「在った」という言い方になっています。
ばばあは、
往来求乞、口念彌陀不絶声、人憐其老、多施銭米。
往来求乞するに、口に彌陀を念じて声を絶たず、人その老いたるを憐れみ、多く銭米を施す。
あちこちで人に施しを求めたが、いつもぶつぶつと阿弥陀如来の念仏を唱えて声を絶やすことがなく、ひとびとはあまりに年老いているのが哀れで、銭やコメをたくさん恵んでくれるのだった。
「ひっひっひ、今日もたんまりといただけたぞえ」
ばばあは、自分に必要な分だけ取ると、
即転施孤苦飢民。
即ち孤苦の飢民に転施す。
ばばあは、孤独で苦しんでいる飢えたやつらに、さらに施してやっていた。
「転売ヤー」ではありません。タダで施しているのです。この「元売り」とも比較してみましょう。
そのとき、いつもこう言っていた、
我代施主転種福田也。
我、施主に代わりて福田(ふくでん)に転種するなり。
「あたしはね、施してくだすった方々に代わってこの苦しいやつらに恵んでやることによって、未来の幸福の種を植えてあげてやっているんだからね」
と。
「みんなが得をするんだよ、ひいっひっひっひっひ」
すばらしい。新自由主義的には「自分だけ」「おともだちだけ」しか得してはいけないので、「みんな」が得をすると怒ってくると思いますが。
後、里人見五色雲起草市中、見婆坐逝。異香郁然。
後、里人、五色の雲の草市中に起こるを見るに、婆の坐逝するを見る。異香、郁然たり。
その後、町のひとたちは、露店市場の隅から五色の雲がたなびいているのを目にした。何事かと見に行くと、ばばあが座ったまま亡くなっていた。そのあたり、不思議ないい香りがいっぱいにただよっていたという。
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清・仲瑞五堂主人「幾希録」より(近人・袁嘯波編「民間勧善書」所収)。施主もばばあも苦しんでいるひともみんな得するすぐれたビジネスモデルを考案したので、雲が出たのです。
みなさん、来世で役に立つようにお金を使いたいときは、年寄(じじい含む)に呉れてやるといいと思いますよ。うっしっし。ひいっひっひっひっひ。