2月23日 年年歳歳、新人も入ってくる

空嚢而帰(空嚢にして帰る)(「幾希録」)

今日は天皇誕生日。働かないで某所(どこかについては別途観タマ記で報告予定。これが標題につながっているわけです。笑)で君が代を歌う。平和な時代に生まれ育って有難いことである。あとは去っていくだけである。

おめでとうございます。明日は振替休日だ。ありがとうございます。

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明の天啓年間(1621~27)、河南開封の祥符県の車夫・金芳というひとは、

貧而好施。遇荒年、自吃糠粞豆渣、見饑寒残疾人、必施一二文。

「車夫」というと、我々にとっては「人力車を挽くひと」ですが、チャイナ近代の「車夫」は「荷車を推すひと」です。人力車より技術も不用であり、人力車夫が必要とする接客業務も必要ではありません。もちろんその分、さらに社会の底辺です。

毎日推車得銭、随路散去、空嚢而帰。

有時雨雪不出、常忍饑一二日、不怨也。

そんなふうに生きて、

年六十四歳、遇無心昌老、贈呑丹薬、髪白復黒、歯落重生。郷里皆異之。

もしかして、勝者になったということでは。みなさん、「なぜおれではなくやつが・・・」と嫉妬してはいけません。得意淡然、失意泰然です。

後復遇昌老、随之而去、不知所終。

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清・仲瑞五堂主人「幾希録」より(近人・袁嘯波編「民間勧善書」所収)。「去り方」は考えなくてもいいのでしょう。ネコのように最期は何処へ行ったかわからなくなったり、ゴミ屋敷のあと片づけ悪くて迷惑かけたとしても、そいつがあっち側に来たときに謝ればいいだけですね。うっしっし。よし、終活は無し。ツバキのように落ち行くのみじゃ。迷惑考えずに生きていることになりました。

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