豈可空去(あに空しく去らしむべけんや)(「陶庵夢憶」)
ああ忙しいなあ。

三分間でできる?
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明の末ごろのことですが、周墨農がわたしに言うことには、
「あなたは閔汶水さんを知っておられる?」
「いや」
閔汶水茶不置口。
閔汶水は、茶を口に置かず。
「閔汶水というひとはお茶が大好きで、口の中に少しの間も置いておくことをしない(。どんどん飲んでしまう)のだ」
「へー」
戊寅年(崇禎十一年、1638)秋九月、わたしは所用で南京に行った。その時、
訪閔汶水于桃葉渡。
閔汶水を桃葉渡に訪えり。
南京市内の川港・桃葉渡の近くにあるという閔汶水の家を訪問した。
ちなみにこのあたり、晋の王羲之の愛妾・桃葉が住んだというのでこの地名があるそうな。
訪問した時、汶水は留守だった。
遅其帰、乃婆娑一老。
その帰るを遅しとするに、すなわち婆娑(ばしゃ)たる一老なり。
「娑婆」(しゃば)は梵語「サバー(俗世間)」の音訳ですが、婆娑(ばしゃ)は「むさくるしい」とか「不潔な」という感じを表すオノマトペです。「ぐしゃぐしゃ」ぐらいの感じですかね。
なかなか帰って来ないのをじっと待っていたところ、帰ってきたのは汚いじじいであった。
方叙話、遽起曰、杖忘某所。又去。
まさに叙話するに、にわかに起ちて曰く「杖、某所に忘れたり」と。又去る。
そこで、あいさつを始めたところ、突然立ち上がって、「杖をあそこに忘れてきた!」と言うと、またどこかに行ってしまった。
わたしは言った、
今日豈可空去。
今日あに空しく去らしむべけんや。
「今日一日を無意味にするわけにはいかない!」
このまましっぽを巻いて帰るものか。
やがて汶水老人は帰ってきて、座り直すと、
睨余曰、客尚在耶。客在奚為者。
余を睨みて曰く、「客なお在りや。客は在りて奚(なに)をか為すものぞ」と。
わしをぎろりと睨んで言った。
「お客人はまだいたのか。お客人はここにいて、何をしておったのじゃ?」
と。
わたしは言った、
慕汶老久、今日不暢飲汶老茶、決不去。
汶老を慕うこと久しく、今日、汶老の茶を暢飲せずんば、決して去らず。
「汶老人にはずいぶん長くあこがれておりました。今日は、その汶老人のお茶をゆっくり味あわせていただこうと思って来たのじゃ、飲ませてくれなければ帰りません」
すると、
「そうじゃったか、ふほほ」
汶水喜、自起当爐。
汶水喜び、自ら起ちて爐に当たる。
汶水老人は喜んだ。自ら立ち上がって爐に火を入れた。
茶旋煮、速如風雨。
茶たちまち煮え、速やかなること風雨の如し。
お茶はたちまち沸いてきた。その速やかなること、風吹き雨の至るがごとし。
・・・このあとお茶ができて、落ち着いて話が始まるのですが、今日はここまで。
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明・張岱「陶庵夢憶」巻三「閔老子茶」(閔老先生のお茶)より。「あれ、これが漢文?」と思いませんか。話の運び、話の中身、登場人物、会話のテンポ・・・たいへん近代的な表現が始まっていたのが分かっていただけるのでは? これが明末清初という時代の「小品」という文学ジャンルの世界です。「陶庵夢憶」は和訳も何種類が出ているんですが、和訳読んでも何にもおもしろくないんですが、漢文で読むとスピード感がすごいんです。
陶庵先生は人生の前半を明の富裕階層として過ごしたんですが、後半生の清の時代には困窮していろんなものを切り売りしながら、昔の思い出を気の利いた文章で遺してくれた人です。永井荷風あたりに位置づけはちょっと似ているかも。