鼎折足(鼎、足を折る)(「周易」)
昨日は「明日も続くぜ」と偉そうに言ったのですが、明日の朝が早いので今日はもうこれ↓でお許しくだされ。

にゃんと、予告違反とは、悪いやつにゃ。おれがやっつけてやる・・・と思ったが、おれも悪、仲間どうし仲良くするにゃ。(・・・と油断させて・・・)
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ほんと、むかしの人はいいこといいますね。
子曰、徳薄而位尊、知小而謀大、力小而任重、鮮不及矣。
子曰く、徳薄くして位尊き、知小にして謀ごと大、力小にして任重きは、及ばざること鮮(すくな)し。
何が少ないのでしょうか。この文だけではわかりませんが、次のように解されています。
先生によれば、「(あ)徳は薄いくせに地位が高いやつ、(い)知恵は大して無いのに大きなことを考えているやつ、(う)能力はあまりないのに大きな仕事を背負いこんでいるやつ、これらには(「わざわいごと」が)及んでこないことは少ない(たいていの場合及んでくる)」ということだ。
易曰、鼎折足、覆公餗。其形渥。凶。言不勝其任也。
易に曰く、「鼎、足を折り、公の餗(そく)を覆す。その形渥(あく)たり。凶なり」と。その任に勝えざるを言うなり。
「周易」の鼎卦(☲(離)が上、☴(巽)が下、の卦。鼎(三本足のナベ)を横から見たところみたいなので、「鼎」卦という。)の下から四番目の爻が出たときの占辞には、こう書いてある。
「ナベの足が折れた。公式の宴会(のえらい人たちの前)で、料理が覆って散乱してしまったぞ。この状態はかなりヤバい。悪いことが起こるぞ。」
これは、やりきれないことを背負って、とうとう破綻してしまったことを言うのだ。
「渥」(あく)は「うるおう」「ぬれる」のほか「篤い」「赤らむ」などの意味があります。ここは「篤」で、「状況が深刻」の意味でしょう)
えらいひとの宴会で料理をひっくり返して、えらいひとにぶっかけたりした時のことを想像すれば・・・ぶるぶるぶる。あまりの恐ろしさに身が引き締まります。よし、この引き締まった気持ちで何事にも取り組もう。
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「周易」繋辞下伝より。「子」は、伝統的には繋辞伝は孔子が書いたことになっているので孔子自身だ、ということになっていますが、自分で「子」というはず無いし、実際には孔子よりはずっと後の著書だと推定されていますので、とりあえず「先生」と訳しておきます。
先生のおコトバながら、(あ)と(い)はやられればいいと思いますが、(う)の人は、おしつけて逃げるやつに押し付けられた可能性があります。困りますよね。ところが「押し付けた人の方が賢いんだから文句言うな、お前がダメだからダメなんだ、ここは新自由主義社会なんだぞ」と言われると、「易」の教えとは何なのだ、ということになる。「易」的には、「おれには荷が重いのだ、今度は絶対引き受けないぞ、と思って、目の前の仕事に慎重に取り運んでいると、船長の運営管理のもと、船が行き先にたどりつくように、やがて先が見えてくるかも知れんのじゃ」ぐらいの解釈をしておくのがいいのではないか。だが、先が見えてくるとまた寄ってきますよ。あいつが。ネコではありません。

こんなかっこうもできるんにゃぞ。