2月21日 何もしたくないです
為天下虜(天下の虜と為る)(「管子」)
あー、めんどくさい。何もしたくないよー。・・・とお思いのみなさま、↓こんな言い訳は如何でしょうか。

やる気ないので寝るでゴン
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春秋の時代、斉の桓公(在位前685~前643)が、宰相の管仲に訊いた。
吾欲富本而豊五穀、可乎。
吾、本を富まして五穀を豊かにせんと欲す、可ならんか。
わしは、本拠(のわが国)を富ませ、五穀を豊かに保有したいと思うのだが、どうすればいいだろうか?
重農主義?の経済振興です。右肩上がりの社会にしようという方針です。農業、工業、商業、文化・芸術、中抜き業・・・いろいろプレゼンして売り込みましょう。
・・・と思ったんですが、管仲は答えた。
不可。
不可なり。
そんなことはしてはいけません。
なんと、ダメだというのです。
「なにを言ってるんだ、君は!」
とふつうの上司なら怒るところですが、桓公は管仲を信頼していたので、怒らずに茫然とした。
(宰相は仕事したくないだけでは・・・)
管仲は言った。
夫本富而財物衆、不能守。則税於天下。五穀興、豊巨銭而天下貴。則税於天下。
それ、本富めば財物衆く、守る能わず。すなわち天下に税せん。五穀興り、巨銭豊かなれば天下貴ぶ。すなわち天下に税せん。
さて。本拠が富めば物資が多くなります。いつかはそれらを失う時が来ますが、そうなったら、(経済状態を維持するために、本拠以外の)天下から税を取り立てなければならなくなります。五穀がたくさん実れば、巨大な銭貨(要するに金融資産)を多く保有することになり、天下は我が国を尊重するようになります。そうすれば天下から税を取り立てることができるようになります。
(取り立てれば得するのではないか・・・)
然則吾民、常為天下虜矣。
然ればすなわち吾が民、常に天下の虜と為らん。
天下から税を取り立てるようになれば、わが国の人民はもはや天下無しにはやっていけません。「天下のとりこ」となってしまうのです。
(はあ?)
夫善用本者、若以身済大海、観風之所起。
それ、善く本を用うる者は、身を以て大海を済(わた)るがごとく、風の起こるところを観る。
さてさて、本拠をうまく生かしていくには、自分自身で大海原を渡ろうとする人のようにしなければなりません。風の吹き方を観測するのです。
天下高則高、天下下則下。天高我下、則財利税於天下矣。
天下高ければ則ち高くし、天下下れば則ち下る。天(下)高くして我下れば、財利は天下に税せんとす。
天下の経済(の風)が強く吹くなら本拠の経済もてこ入れして強くし、天下が弱くなればこちらも弱くする。もし天下の方が強くてこちらが弱くなったら、天下から税を取り立てて財政を均衡させねばならなくなるのですから。
「そ、そうですか。だいたいわかりましたので、経済振興は止めておきます・・・」
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「管子」地数第七十七より。今の現代人の優れたる経済学では理解できないことを言っているのだと思いますので、理解しなくてもいいでしょう。「足る」ことよりも「等しい」ことを優先するような人たちですから、もしかしたら資本主義や労働搾取と違うことを言っているのでは? あわわ、こんなの理解出来たら憲法違反に問われるかも知れませんよ。