縦風止燎(風をほしいままにして燎を止どめんとす)(「昨非録」)
崖から落ちる、うわー、たすけてーー!!!
・・・というところで目覚めるタイプの夢を昼間居眠りしているときによく見ます。もしかしたら叫んでいるかも知れないし、職場や電車の中で恥ずかしい。

ぼ、ぼく弱いので後回しにしてください・・・と言っていると最初にやられる。
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鄭有富叟、戒其隣之子、勿為竊。
鄭に富叟有り、その隣の子に竊を為す勿れと戒しむ。
むかしむかし、今の河南のあたりに、お金持ちのおじいさんがいました。おじいさんは近所の子どもたちが心配で、ある日、隣の家の子に「盗みをしてはいかんぞ」と教えた。
すると、隣の家の子は、
吾未知竊、焉知戒。
吾いまだ竊を知らず、焉んぞ戒しむるを知らん。
「おいらは「盗む」ということが何であるか知りません。これではおじさんのせっかくの戒めがムダになってしまいまちゅね」
と言って、
遂往就竊者而学焉。尽其術、帰而竊諸富叟。
遂に往きて竊者に就きて学ぶ。その術を尽くして、帰りてこれを富叟より竊めり。
とうとう盗人のもとに出かけて行って、弟子になった。その術をすべて学んで帰ってきて、お金持ちのおじいさんのところに入って盗んだ。
叟知之、始悔前言之不慎也。
叟これを知り、始めて前言の慎まざるを悔ゆ。
おじいさんは、犯人が誰かを知って、以前のコトバが不謹慎であったことにようやく気付いて後悔した。
ああ。
契券所以防姦也、而啓姦者有之。桃棘所以駆鬼也、而致鬼者有之。
契券は以て姦を防がんとするところなり、しかるに姦を啓くことこれ有り。桃棘は以て鬼を駆らんとするところなり、しかるに鬼を致すことこれ有り。
契約書は悪いやつが出て来るのを防ぐために作られたものだ。だが、悪いやつはこれを利用して悪事を働くことがある。桃の枝は悪鬼を祓うために手にするものだ(迷信ですが)。だが、悪鬼はこれを目指して憑いてくることがある。
聖人知其然、故於怪力乱神、但不語之而已。
聖人はその然るを知り、故に「怪力乱神」においては、ただこれを「語らず」あるのみ。
聖人・孔子さまはこのようになることをご存じだったから、「不思議なこと、暴力的なこと、混乱させること、神秘的なこと」については、それらを語ろうとはされなかった。
「論語」述而篇にいう、
子不語怪力乱神。
子は怪力乱神を語らず。
先生は、不思議なこと、暴力的なこと、混乱させること、神秘的なことはお話しになられなかった。
とあるのをそのまま引いています。
いろいろ解説しはじめるとまたキリが無いので、北宋・謝上蔡の素晴らしい解説をご紹介しておきます。
聖人語常而不語怪、語徳而不語力、語治而不語乱、語人而不語神。
聖人は、常を語りて怪を語らず、徳を語りて力を語らず、治を語りて乱を語らず、人を語りて神を語らず。
孔子さまは、当たり前のことをお話しされて、不思議なことはお話しされなかった。徳義のことをお話しされて、暴力のことはお話しされなかった。政治のことをお話しされて、混乱のことはお話しされなかった。人間社会のことをお話しされて、神秘の世界のことはお話しされなかった。
のである。
さて、
而世或顕著之以示威、譬如縦風止燎、豈惟無益而已哉。
而るに世に或いはこれを顕著にして以て示威するは、譬えば風を縦いままにして燎を止どめんとするなり、あにただに益無きのみならんや。
ところが世の中では、不思議なことなど耳新しいことを言い触らして、それで人を抑えつけようとする。そんなことは、強い風が吹いている中で、野火を消し止めようとするようなものだ、何にもならない、というだけでは済まない(で、被害を大きくしてしまう)だろう。
そこで、
寤崖子曰、善戒者無迹、有迹則戒之転以導之。
寤崖子曰く、「善く戒める者は迹無し、迹有ればこれを戒むるに転じて以て之を導く」と。
わたくし、「崖のところで目覚めた者」はこう申し上げる。
―――ひとびとに警告するときは、警告だと思われないようにすることだ。警告だと気づかれたら、さかしまにそれを推奨してしまうことになりかねない。
清の終わりのころのことでございます。
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清・劉熙載「昨非録」巻一より。戒めとかせずに見て見ぬふりして何も言わなければいい・・・という意味ではないんですね。これは実際には難しいな。
融斎先生・劉熙載、字・伯簡は江蘇・興化のひと、嘉慶十八年(1813)に生まれ、道光二十四年(1844)の進士、同治六年(1867)廣東学政を以て致仕、その後光緒六年(1880)まで上海龍門書院で経学を講じ、光緒七年(1881)、郷里に卒す。
寤崖子は晩年の自号で、「自序」にいう、
或問所以名書之義、余曰、偶然耳。過則忘之矣。抑或寤者見之謂之寤、崖者見之謂之崖矣乎。
或るひと書に名づくる所以の義を問うに、余曰く、「偶然なるのみ。過ぐれば則ちこれを忘る。そもそも、或いは寤者これを見てこれを寤と謂い、崖者これを見てこれを崖と謂えるか」と。
あるひとが、わたしが著書に「寤崖」と書いているのを見て、どういう意味か、とお訊ねになった。わたしは言った、
「たまたまそうなっただけです。そう名付けた時のことは忘れてしまいました。さてさて、もしかしたら、「目覚めた人」には目覚めて見えるし、「崖に差し掛かった人」には崖に見える、そんなことだったかも知れません」と。
と誤魔化していますが、「崖」に差し掛かってようやく「寤」めた、とはどういうことか。咸豊十年(1860)のアロー号事件では最後まで北京から退避せずに事務を取り続け、翌十一年には武昌・江漢書院主講として太平天国の乱に多くの教え子を喪っており、あるいは国の将来に思うところあったのかも知れません。その人となり、
貞介絶俗、学冠時人。
貞介にして俗を絶し、学は時人に冠たり。
行動は正しく、筋が通って、俗人とは一線を画し、その学問は同時代人の中で飛びぬけていた。
と評さる。