2月2日 昼間は居眠りの鬼と化していた

尸亦飛去(尸また飛び去る)(「風俗通義」)

日頃の行いに気をつけよう。

鬼の天下も明日までだぜ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「蜀王本紀」という漢代、あるいはそれ以前に編まれた古い伝説集があります。現在では既に散佚しているのですが、宋代に編纂された「太平御覧」に引用されて、一部だけが今も遺っている。その中に、「望帝説話」という神話が載っています。

・・・むかしむかし、蜀の地に望帝という王さまがいたそうな。

望帝積百余歳、荊有一人名鱉令。

この人が亡くなった。

すると、

其尸亡去、荊人求之不得。

鱉令尸随江水上至陴、遂活。与望帝相見、望帝以鱉令為相。

ところで、

鱉令治水去後、望帝与其妻通。

百歳超えているというのに!鬼のような人ですね。

その後、望帝は、

慚愧。自以徳薄不如鱉令、乃委国授之去。蜀人神之、尊立為王。

ここにおいて

鱉令即位、号曰開明帝。

んだそうです。

さて、現代(漢代)の淮陽太守・尹済は、

其治厳酷。

尹済が死ぬと、

死未及殮、怨家欲焼之、尸亦飛去。見于書伝。

というのである。死体が生き返ることは時に起こり得ることらしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・

後漢・応劭「風俗通義」怪神第九より。尹済の方は神さまには認定はされなかったみたいです。日頃の行いのせいでしょうか。

望帝は恥じて国を譲って去って行った後、ホトトギスに変化して、おのれの所為を嘆き、今も血を吐くまで鳴き続けているのだということである。

ホームへ
日録目次へ