2月19日(雨水節) 気をつけなければなりません
失名之患(名を失うのうれい)(「棲霞閣野乗」)

電気代高くなってきました。食料品も高くなってきました。賃金がこんなにあがるはずがないから、誰かのところに行ってるんだと思いますが、どういう仕組みで誰のところに行っているのだろうか。みなさんのところには来てますか。

みんなのところには、ぼくたちが行くよ。待っててね!

・・・・・・・・・・・・・・・・

18世紀後半の清の文人官僚・謝薌泉という人は、

嘗蓄万金、邀遊江浙間、抛棄殆尽。

嘗て万金を蓄え、江浙の間に邀遊して抛棄してほとんど尽くさんとす。

当初一億円ぐらいのおカネを持っていたが、長江下流から浙江の間で遊び歩いて、財産を湯水のように使ってほとんど消尽してしまった。

「いい加減にしたほうがいい」

と注意した人に、

人生貴適意耳。銀銭常物、何足惜也。

人生、適意を貴ぶのみ。銀銭は常物、何ぞ惜しむに足らん。

「生きている以上は思い通りにしたいではないか。白銀や銭貨はどこにもであるものじゃ、手元から無くなったとして何が惜しいものか」

と言いまして、使ってしまったのである。

嘉慶年間(1796~1820)の初めごろは、まだ和坤さまが乾隆上皇にお気にいられて全盛でした。このころは和家の下僕でさえ官庁の長官クラスを使い走りにようにしていたそうです。何しろ清朝の国家予算の何倍もの財産を貯えていた、というのですから凄まじい。どういう仕組みになっていたのか、やがてその秘密は暴かれますが、説明するとめんどくさいので今日のところは「怪しからんことであった」ぐらいでおゆるしください。

南京で、和坤の愛人の兄が

馳車衝騶従。

車を馳せて騶従に衝す。

馬車を暴走させて、ウマをひいていた人を跳ね飛ばしてしまった。

このとき、南京を所轄する侍御史(人の非違を摘発する「御史」の属官)だった謝薌泉は、

立命擒之、杖以巨杖、因焚其轂。人争快之

立ちどころにこれを擒らえんことを命じ、巨杖を以て杖し、因りてその轂を焚く。人、争いてこれを快とせり。

即座にこの人を捕まえさせ(お伺いを立てていれば必ず横槍が入るからである)、杖打ちの刑(これは正式の裁判手続きを踏まずに執行することができる)に処して、その際、特別にでかい痛い杖を使った。また、暴走に使われた馬車は危険物として焼いてしまった。人々はよくやったと大喜びしたのである。

すぐさま北京中央の諫官・王鐘健は、

劾罷謝官。

劾して謝の官を罷む。

謝を弾劾して、役人をクビにしてしまった。

これは和坤とその党派に阿ったのか、それともそのままでは謝薌泉の命が危ないと見て官職だけ奪って朝廷から追い出してしまったのか、そのあたりの機微は今となってはわからないのですが、謝の上司で王とも付き合いのあった管世銘が大笑いして言った、

今日二公各有所失。謝公失官、王公失名。

今日、二公おのおの失うところ有り。謝公は官を失い、王公は名を失う。

「わははは、今回のことで、お二人はどちらも失うところがあった。謝くんは官職を失ったのである。王さんは名声を失ったのである」

うまいこと言った、という気持ちで笑ったのでしょう。

そしてマジメな顔になって言った、

失官之患、不過一身、失名之患、至伝千古矣。

官を失うの患は一身に過ぎず、名を失うの患は千古に伝うるに至らん。

「官職を失うのは困ったことだが、自分一生の間にことにすぎない。名声を失ったときの困りごとは、千年も前のことまでみんな言い伝えて覚えていることだ」

何年も前の動画が出てきて炎上することもあるのである。千古に伝えられるのは困ったことではないだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

清・孫静安「棲霞閣野乗」巻下より。名声を失わないようにしよう・・・と言っても、現代において謝薌泉と王鐘健の名前を憶えている人が果たして何人ぐらい、いるものなのでしょうか。動画さえ無ければあんまり気にしなくてもいいのかも。

ホームへ