2月19日 悪口言われて得することもある

有所不臣(臣とせざるところ有り)(「後漢書」)

「俗党」だといわれると仕事しなくてよくなるみたいです。

サボって寿命まで栄養たくわえることもできる。

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漢の時代、王覇、字・儒仲というひとがいた。山西・太原の廣武の町の出身であった。

少有清節、及王莽簒位、棄冠帯、絶交宦。

やがて後漢が建国(25年)されると、新しい王朝から召し出されました。

徴到尚書、拝称名、不称臣。

自分のことを実名で名乗るというのは、それだけでも謙譲語なのですが、自称に「臣」を着けなかった。例えば吉田茂さんなら、天皇陛下の前では、「臣・茂」と名乗るはずなのですが、単に「茂」とだけ名乗った。

「ほえほえ?」

有司問其故。

すると、王覇は答えた、

天子有所不臣、諸侯有所不友。

「それはどんな者ですか」

儒。

自分はそれなので、臣下になりませんので、というのである。

この噂を聞いて、大臣の侯覇が辞職願を出した。

譲位於覇。

これを聞きつけて、元の太原令・閻陽が怒鳴り込んできました。

太原俗党、儒仲頗有其風。

どういうことでしょうか。「漢書」にいう、

太原多晋公族子孫、以詐力相傾、矜誇功名、報仇過直。

漢の時代に入ると、

号為難化、常択厳猛将、或任殺伐為威。

太原の人たちから見れば、

父兄被誅、子弟怨憤、至告訐刺史二千石。

というのです。怪しからんやつらである。

こうして、

遂止。

それで、帰郷することも許された。

王覇は、

以病帰、隠居守志、茅屋蓬戸。連徴不至、以寿終。

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「後漢書」巻八十三「逸民列伝」より。寿命を以て終われるならいいですね。ふつう仕事をしに行くのは、「ごはんを食べるため」ですが、寿命を以て終われる保証があったら仕事なんか行かない、行きません。

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