2月18日 もうダメでしょう。
安得不亡(いずくんぞ亡せざるを得ん)(「晏氏春秋」)

体重増えるし足腰も弱って来て、身動きがつらくなってきた。

そんな不健康なやつは、やまんばに鍛えてもらうといいですよ。

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人間が身動きしないだけで本人も周囲の人も困りますが、春秋の時代、斉の景公(在位前547~前490)のときに、熒惑星(一般に火星を指す)が虚の星座のあたりに入って動かなくなってしまった。

景公は不安に思い、賢者の晏嬰を召して訊ねた。

「熒惑星は天の罰する対象を示すという。いま、その星が虚の星座に宿っている。天は誰を罰しようとしているのであろうか」

晏嬰は答えた、

斉当之。

斉、これに当たらん。

「そりゃ我が斉の国でしょう」

公はおっしゃった、

「チャイナには大きな諸侯が12人いる。そうして我が斉が該当すると言えるのか」

虚斉野也。且天之下殃、固于富彊。

虚は斉の野なり。かつ天の殃いを下すや、もとより富彊においてす。

チャイナ占星術の「分野説」と論じ始めるとキリが無いので、簡単にまるまるっと言いますと、ある星座(チャイナ占星術では「宿」とか「室」という概念があり、西洋流の「一群の星の並び」ではなく、「星の座」である天球の一定の範囲を指します)で起こることは、地上の一定の分野にも起こるというのが「分野説」。そして二十八あるこれらの星宿のうち「虚」宿は古来、斉の国のあたりに該当する、とされている、ということを踏まえて、晏嬰が答えて言う、

「虚の星座は斉の国で起こることを反映する宙域ですからな。それに、天は富強の国に対してのみ災禍を降す、といいますぞ。

為善不用、出政不行、賢人使遠、讒人反昌、百姓疾怨、自為祈祥、禄禄彊食。進死何傷。

善を為すも用いず、政を出だすも行われず、賢人遠からざらしめ、讒人反って昌(さか)んに、百姓疾怨し、自ら祈祥を為すも、禄禄として彊食す。死に進むとも何か傷まん。

「禄禄」(ろくろく)は「碌碌」と同じで「ごろごろした石(のように役に立たない)」という譬喩です。

善い方に事を進めようとしてもおやりになりません。政策が訴えられても実行なさいません。賢者はおられますが遠くに追いやられ、讒言をほしいままにするやつらが反って栄え、人民たちは憎み怨んでおります。こんな中で、自分だけで吉祥あらんことを祈りながら、ごろた石のように働かずに飯をたくさん食う。そんなやつが死に向かって進んでいくとしても、何の同情も抱けません。

役に立っているのならいいのですが、役に立っていない人は飯をたくさん食ってはいけません。

是以列舎無次、変星有芒、熒惑回逆、蘖星在傍。

これを以て、列舎に次無く、変星に芒有り、熒惑回逆し、蘖星傍らに在り。

こういうわけで、星座が順序どおりに並ばず、変わった星がぎらぎら光芒を放ち、熒惑星は過ぎ去らずに戻って来、普段見かけぬ星が(自らの地域を示す星座の)かたわらにあることになるのです。

有賢不用、安得不亡。

賢有るも用いず、いずくんぞ亡せざるを得ん。

賢者がいても用いようとしない。国が亡ばないということがあり得るでしょうか」

むむむ。

「そのような凶兆は、拭い去ることができるだろうか」

「できる程度の凶兆ならば、拭い去れましょうし、できないほどの凶兆なら、拭い去れないでしょう」

「むむむ・・・わたしにできるだろうか」

蓋去冤聚之獄、使反田矣、散百官之財、施之民矣。振孤寡而敬老人矣。

なんぞ、冤聚の獄を去りて田に反らせ、百官の財を散じてこれを民に施し、孤寡を振し老人を敬まわしめざる。

「蓋」(がふ)は、「何不」(かふ)の二字分の音を表すのに仮借して使われる疑問詞です。「なんぞ・・・せざる」と訓じてください。

「どうして、無実の罪で囚われている多くの人々を農村に帰らせ、各役所の保有する財産を人民たちに分け与え、孤児や寡婦を支援して振るい興こし、老人たちを尊敬されるようにさせないのですか。

夫若是者百悪可去。何独是蘖乎。

それ、かくのごとければ百悪去るべし。何ぞ独りこの蘖のみならんや。

そうすれば、どんな悪しきことも拭い去ることができます。どうしてこの星座の凶兆だけのことに限られることがありましょうか」

これを聞いて、公は言った、

善。

善し。

「おーけーじゃ」

かくして、

行之三月、而熒惑遷。

これを行うこと三月、熒惑遷れり。

言われたことを実行して、三か月、ついに熒惑星は虚の星座から離れて行った。

君主も星を信ずる遥かな時代のことでございました。

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晏氏春秋」第一「諫上」より。H3ロケットも打ち上げ失ぱ・・・いや、中止され、熒惑星は今日もぎらぎらと輝いております。賢者は用いるといいと思いますが、新自由主義の賢者はもういいのでは・・・。百官の財を民に施すのはいいと思います。特に孤児や寡婦や老人に。

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