日飯両杯(日に飯両杯なり)(「山谷題跋」)
二杯ぐらいですめばいいのですが、すまないのが人間の弱いところである。ロケット成功も「これで宇宙商戦に参加の可能性」と解説記事。

おまえら食いすぎニャろ?
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宋の時代ですが、ネコのニャン五郎が来て、言った。
人生歳衣十匹、日飯両杯。而終歳薾然疲役、此何理邪。
人生、歳に衣十匹、日に飯両杯なり。しかるに終歳に薾然(じぜん)として疲役するはこれ何の理ぞや。
人間が生きていくには、一年に十枚の服と、毎日二膳の飯があればいいのだ。それなのに、一年中、げんなりとして疲れ働いているのは、これは一体どういうわけか。
「どういうわけか、わかるかニャ?」
「うーん」
「ニャンげんは、
男女婚嫁、縁渠儂堕地、自有衣食分斉。
男女婚嫁し、渠と儂に縁りて地に堕つれば、自ずから衣食有れば分斉す。
「渠」「儂」は呉越の方言で、それぞれ「彼」と「我」のことです。
男と女が嫁入り婿取りし、「あいつ」と「あたし」のせいで地面に落ちたのだから、おのずと着るものと食べるものは、誰かが持っていたら均しく分け合うものであろう。
「ちがうんかニャ?」
「本来そうあるべきだよなあ。
所謂誕置之隘巷、牛羊腓字之、其不応凍餓溝壑者、天不能殺也。
いわゆる、「誕(たん)、これを隘巷に置けば、牛羊これを腓字し」て、その溝壑に凍餓すべからざるは、天の殺す能わざるなり。
むかしの人の言うところの「ああ、それを狭い路地に置いたら、ウシやヒツジが庇っていつくしむ」のように、(人間は本来、)溝やどぶ川に凍え飢えて死ぬことのないように運命づけられている。天は命あるものを殺そうとはしないからだ。
と思うもんなあ」→※に続く
―――「所謂」(むかしの人のいうところの)は誰が言っているのだ、というと詠み人は知りませんが、「詩経」大雅「生民」の詩、これは周王朝のご先祖祭の際にうたわれる、古い民族起源のうたなのですが、それにいう、
(超古代、姜嫄(きょう・げん。「始祖のムスメ」)は、ある日「大いなる者の足跡」を踏んで感応し、やがて日が満ちて男の子を生んだ。不祥の子どもとこの子を棄てることにし、)
誕置之隘巷、牛羊腓字之。
誕置之平林、会伐平林。
誕置之寒氷、鳥覆翼之。
鳥乃去矣、后稷呱矣。
実覃実訏、厥声載路。
「誕(たん)」は「発語の辞」、「腓(ひ)」は「庇」、「字」は「愛」、「覆翼」は「一翼にて覆い、一翼にて藉(しゃ。下敷きにする)す」こと、「后稷」(こうしょく)はこの子の名前。意訳すれば「畑作の君」でしょうか)、「覃(たん)」は「長い」、「訏(く)」は「大きい」。以上によってがんばって読み下して和訳しますと、
誕、これを隘巷に置けば、牛羊これを腓字す。
誕、これを平林に置けば、平林を伐するに会す。
誕、これを寒氷に置けば、鳥これを覆い翼す。
鳥はすなわち去れり、后稷は呱(こ)せり。
実(まこと)に覃、実に訏、厥(そ)の声、路に載せり。
おお、その子を町はずれの道端に棄てれば、牛や羊がかわるがわる温め、乳を含ませた。
おお、その子を深い林の中に棄てれば、ちょうど深い林は切り払われた。
おお、その子を氷結した川面に棄てれば、鳥が一枚の羽で覆い、一枚の羽をしとねにして護った。
鳥は飛び去った。われらが后稷は泣き声を上げた。
まことに長く、まことに大いなる泣き声を上げた。その声は、大路の上に響き渡りしぞ!
古い古い神話の時代の「うた」です。古拙にして大らか、三千年前のひとの声が聞こえてくるようではありませんか。―――
※というように、生活のことはウシやヒツジに助けてもらって何とかなるはず。人間同士がお互いに分け合えばみんなに行きわたるはずなのだが」
「肝冷斎よ、おまえもずいぶん眉を顰め暗い顔をしているではニャいか。まだ足りない、人と争ってさらに手に入れよう、どうやったら人に勝てるのか、ということばかりを考えているのではニャいのか?」
「なんていうことを言うんだ!
今顰眉終日者、正為百草憂春雨耳。
今眉を顰むること終日なるは、正に百草のために春雨を憂うるのみ。
今、おれが眉をひそめているのは、実は、つぼみ始めた草花のために、はやく春の雨が降ってくれないものかと心配しているだけなのだ。
人間もそれほどオロカではないから、
青山白雲、江湖之水湛然、可復有不足之嘆邪。
青山白雲、江湖の水湛然たり、また不足の嘆有るべけんや。
青い山、白い雲。川にも湖にも水は豊か。いったいこの大自然の中で、まだ足りないと嘆くことがあるはずがなかろう。
「ニャるほどニャ。それなら安心だが、ほんとにまだ足りないと嘆くやつはいないんだろうニャア?」
「あ、当たり前だろう」
おれは思わず冷や汗を流した。
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宋・黄庭堅「山谷題跋」より「書贈兪清老」(書して兪清老に贈る)。まさか、人間のくせに、「まだ足りない、もっと儲ける、株だ働け税金払え」と言っているひとはいませんよね。人間でないやつにはいるかも知れませんが。
SDGsを語り合う、すばらしい知恵の場・ダボス会議に、世界のビップが自家用ジェットで集まって来ている―――というニュースを読んだ。やはり人間はダメだ、ニャン五郎にニヤニヤ笑われ、絶望し呪いの声も挙げたくなってしまいそう・・・なのですが、がまん、がまん。がまんしてニコニコして手を合わせているうちに、如来か菩薩が救けてくれます、とお経に書いてあります。ああよかった。