2月17日 ロケットも飛んだしもういいか

日飯両杯(日に飯両杯なり)(「山谷題跋」)

二杯ぐらいですめばいいのですが、すまないのが人間の弱いところである。ロケット成功も「これで宇宙商戦に参加の可能性」と解説記事。

おまえら食いすぎニャろ?

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宋の時代ですが、ネコのニャン五郎が来て、言った。

人生歳衣十匹、日飯両杯。而終歳薾然疲役、此何理邪。

「どういうわけか、わかるかニャ?」
「うーん」
「ニャンげんは、

男女婚嫁、縁渠儂堕地、自有衣食分斉。

「渠」「儂」は呉越の方言で、それぞれ「彼」と「我」のことです。

「ちがうんかニャ?」
「本来そうあるべきだよなあ。

所謂誕置之隘巷、牛羊腓字之、其不応凍餓溝壑者、天不能殺也。

と思うもんなあ」→※に続く

―――「所謂」(むかしの人のいうところの)は誰が言っているのだ、というと詠み人は知りませんが、「詩経」大雅「生民」の詩、これは周王朝のご先祖祭の際にうたわれる、古い民族起源のうたなのですが、それにいう、

(超古代、姜嫄(きょう・げん。「始祖のムスメ」)は、ある日「大いなる者の足跡」を踏んで感応し、やがて日が満ちて男の子を生んだ。不祥の子どもとこの子を棄てることにし、)

誕置之隘巷、牛羊腓字之。 
誕置之平林、会伐平林。
誕置之寒氷、鳥覆翼之。
鳥乃去矣、后稷呱矣。
実覃実訏、厥声載路。

「誕(たん)」は「発語の辞」、「腓(ひ)」は「庇」、「字」は「愛」、「覆翼」は「一翼にて覆い、一翼にて藉(しゃ。下敷きにする)す」こと、「后稷」(こうしょく)はこの子の名前。意訳すれば「畑作の君」でしょうか)、「覃(たん)」は「長い」、「訏(く)」は「大きい」。以上によってがんばって読み下して和訳しますと、

古い古い神話の時代の「うた」です。古拙にして大らか、三千年前のひとの声が聞こえてくるようではありませんか。―――

※というように、生活のことはウシやヒツジに助けてもらって何とかなるはず。人間同士がお互いに分け合えばみんなに行きわたるはずなのだが」
「肝冷斎よ、おまえもずいぶん眉を顰め暗い顔をしているではニャいか。まだ足りない、人と争ってさらに手に入れよう、どうやったら人に勝てるのか、ということばかりを考えているのではニャいのか?」
「なんていうことを言うんだ!

今顰眉終日者、正為百草憂春雨耳。

人間もそれほどオロカではないから、

青山白雲、江湖之水湛然、可復有不足之嘆邪。

「ニャるほどニャ。それなら安心だが、ほんとにまだ足りないと嘆くやつはいないんだろうニャア?」
「あ、当たり前だろう」
おれは思わず冷や汗を流した。

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宋・黄庭堅「山谷題跋」より「書贈兪清老」(書して兪清老に贈る)。まさか、人間のくせに、「まだ足りない、もっと儲ける、株だ働け税金払え」と言っているひとはいませんよね。人間でないやつにはいるかも知れませんが。

SDGsを語り合う、すばらしい知恵の場・ダボス会議に、世界のビップが自家用ジェットで集まって来ている―――というニュースを読んだ。やはり人間はダメだ、ニャン五郎にニヤニヤ笑われ、絶望し呪いの声も挙げたくなってしまいそう・・・なのですが、がまん、がまん。がまんしてニコニコして手を合わせているうちに、如来か菩薩が救けてくれます、とお経に書いてあります。ああよかった。

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