誠小人也(誠に小人なり)(「孟子」)
おれはダメ人間だ・・・と思っていても努力させられる。

もはや放浪の旅に出るしかないんだなあ。
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孟子去斉。
孟子、斉を去る。
孟子は斉にやってきて自らの政見を取り入れてもらうよう頑張った・・・が、相手にしてもらえず、とうとう斉の国を去ることになった。
孟子は斉の都を去ると、
宿於昼。
昼に宿す。
昼(ちゅう)の町に宿泊した。
昼は斉の西南にある町です。斉の国内からは出ていかなかった。
ここに三泊してから、おもむろに国外に出て、鄒の実家に帰っていった。
この様子を見て、斉のひと尹士は人に語って言った、
不識王之不可以為湯武則是不明也。識其不可然且至則是干澤也。
王の以て湯・武たる可からざるを識らざれば、これ不明なり。その然る可からざるを識りてかつ至りしならばこれ干澤なり。
「あの孟先生というひとは、うちの王さま(斉の宣王(在位前319~前301))が殷の湯王や周の武王のようなすばらしい王さまにはなれない、ということを知らずに来たのだったとすると、アホだ。いやそうではない、すばらしい王さまになれない、ということは分かった上で来たのだとすれば、それはお恵みをもらおうとして来ただけだ」
「干澤」は「澤」(お恵み)を「干」(求め)る、という意味です。
千里而見王不遇故去、三宿而後出昼。是何濡滞也。士則玆不悦。
千里にして王に見(あ)いて遇せられずして故に去るに、三宿して後、昼を出づ。これ、何ぞ濡滞せるや。士は則ちここに悦ばず。
「千里の道を旅して、斉王に面会しにきたが、厚遇されなかった。それで国に帰ることにしたくせに、三泊もしてからやっと宿の町を出て行った。これは、なんとぐずぐずしていたのであろうか。どう考えても、士(自分の名前)は、あのひとを尊敬する気になれないね」
「・・・などと言っていたらしいですぞ」
高子以告。
高子以て告げたり。
と、孟子と仲の良い斉のひと、高先生は、尹士の発言をチクった。
孟子は言った。
夫尹士悪知予哉。千里而見王、是予所欲也。不遇故去、豈予所欲哉。予不得已也。
夫(か)の尹士はいずくんぞ予を知らんや。千里にして王に見(あ)う、これ予の欲するところなり。遇せられずして故に去る、あに予の欲するところならんや。予は已むを得ざるなり。
「あの尹士か。あいつにわしの何がわかるというのじゃ。千里の道を旅して王に面会に来たのは、わしがそうしたくてしたことじゃ。厚遇されずに帰ることにしたのは、どうしてわしがそうしたくてしていることであろうか。わしはそうするしか無くなっただけなのじゃ」
そうでしたか。
予三宿而出昼、於予心猶以為速、王庶幾改之。王如改諸、則必反予。夫出昼而王不予追也。予然後浩然有帰志。
予、三宿して昼を出づるも、予の心にはなお以て速しと為し、王のこれを改めんことを庶幾(ねが)えり。王のもしこれを改むれば、すなわち必ず予を反(かえ)さん。夫れ昼を出ずるも王は予を追うをせず。予、然る後に浩然として帰志有り。
「わしが三泊してから昼の町を出て帰郷することにしたのさえ、わしの気持ちとしてはなお早すぎると思ったのじゃ。王がその心を改めてくれることを願っていたのだから。王がその心を改めたなら、必ずわしを呼び戻すじゃろう、と思っていた。しかし、昼の町を出てからも、王はわしを追いかけてこなかった。これで、わしは初めて「国に帰ろう」というキモチがはっきりしたのだ」
そうでしたか、なるほど。
予雖然、豈舎王哉。王由足為善。王如用予、則豈徒斉民安、天下之民挙安。王庶幾改之、予日望之。豈若是小丈夫然哉。
予然りといえども、あに王を舎(す)てんや。王は善を為すに足るに由る。王もし予を用うれば、則ちあに徒らに斉の民を安んずるのみならん、天下の民挙りて安んぜん。王これを改むるを庶幾(ねが)いて予日にこれを望む。あにこれ、小丈夫の然るがごときならんや。
「わしはそれでも、王を見捨てたわけではない。斉王は善の行為を成し遂げるに十分な天稟は持っておられるからじゃ。王がもしわしを活用していろんな仕事をさせてくれたら、ただ斉の国の民を安定させるだけではなく、天下の民こぞって安定させられるのだが。王が心を改めることを願って、わしは毎日毎日それを期待しているのじゃ。どうして、ダメ人間のように憎んだり嫉妬したりしているはずがあろうか」
そうかも知れませんなあ。
諫於其君而不受則怒、悻悻然見於其面、去則窮日之力而後宿哉。
その君に諫めて受けられざれば則ち怒り、悻悻然としてその面に見(あら)われ、去れば則ち日の力を窮めて後宿せんか。
「悻悻」は怒りの心。
「このわたしは、主君に諫言してもこれを取り入れてもらえないと怒り出してぶうぶうと不満を顔に現わしたり、帰国することにしたら一日の限界まで進んでから宿泊する―――そんなことをすることがあろうか」
なるほど。
「・・・と、君のことを言ってたぞ」
尹士は(誰かから)これを聞いて言った、
士誠小人也。
士、誠に小人なり。
「尹士めは、ほんとうにダメ人間でした」
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「孟子」公孫丑下篇より。これを読んで、北宋の程先生(兄の明道先生であろうか)が言った、
小人小丈夫、不合小了。他本不是悪。
小人、小丈夫も、小なるべからず。他(かれ)ももとはこれ悪ならず。
「ちっぽけなみなさん、ダメなみなさん、ダメなままではダメだと認識しよう。お前さんたちももとからダメなわけではないのだから」
以上は「程子遺書」巻六より(「近思録」改過及人心疵病篇所収)。みなさんもダメ人間のままではいけません。努力しないといけないらしいですぞ。