2月15日 きさらぎの月半ばになった

吾非謬伝(吾、謬(あや)まり伝うるに非ず)(「寒山集」)

今日は暖かくなって、春一番らしいのも吹きました。ウソではありません。

努力や希望を覆す「運命」があるということまでは許容しますが、七難八苦までは要らないのですが。

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死生元有命、富貴本由天。

人間の努力は関係ないのだ。

と言ってみましたら、えらい人たちが、
「自己責任を否定するとは、新自由主義の精神に反する」
と騒ぎだして、新自由主義精神注入棒でケツバットを食らうことになった。

ちょっと待ってください。

此是古人語、吾今非謬伝。

「誰の言葉だ?」
「そいつは「カネだけ今だけ自分だけ」勝者に心地よい新自由主義思想を理解できないのかしら」
「新自由主義を注入してやらねばならんかも知れんな」

この言葉は、孔子の高弟・子夏のコトバです。

司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我独亡。

伝説では、実際は兄貴がいるのですが、この兄貴が孔子を攻撃したり悪事を働くので、司馬牛は「兄弟なんかいない」と言った、という。

これを聞いて、

子夏曰、商聞之、死生有命、富貴在天。君子敬而無失、与人恭而有礼、四海之内皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也。

せっかくの慰めですが、司馬牛の悩みが上の伝説のように、兄貴がワルであることにあったのだとすると、ちょっと逆効果なような気もしますね。「論語」顔淵篇より。

これを聞いて新自由主義者たちは、
「「論語」は企業経営などにも役立つ本だからなあ」
「「論語」に載っているのならいいコトバとされるわね」
「よし、今日のところは見逃してやる」

へへー。ありがたや。

行ってしまいました。

聡明好短命、痴騃却長年。

まったく、死生に命有りだが、どうも運命は逆向きになる傾向がある。

鈍物豊財宝、惺惺漢無銭。

富貴は天が決めるものだが、天の決定もどうやら逆向きになるのだわい。よって、カネの無い者の方が優れていることが明らかになる。

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「寒山集」より。お酒飲んで地下鉄でひと眠りしてきました。美味い中華食ったので満腹で苦しい。ああいつまでこんな生活していていいのでしょうか。旧暦だったら「そのきさらぎの望月のころ」だからそろそろ旅立つ準備もしなければならないが、新暦だからまだ大丈夫?

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