黄金如糞土(黄金、糞土のごとし)(「碧巌録」)
本日は昔の知り合いと中華料理の美味いの食った。

糞土のように美味そうである。
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唐の雲門文偃和尚が弟子どもに言った、
むかし、石頭希遷(「いしあたま」ですね)が弟子に「ダルマさまが西の国からやってきた理由は何だったんですか?」と訊かれて、
問取露柱去。
露柱に問取し去れ。
「表に立っとる丸木の柱に聴いて来い」
と答えた。
弟子いう、
不会。
会せず。
「わかりません」
石頭和尚答えて、
我更不会。
我、更に会せず。
「わしはもっとわからん」
と言った、と「祖堂集」巻四などに書いてある。
さて、
古仏与露柱相交。是第幾機。
古仏と露柱と相交わる。これ、第幾機ぞ。
このようにいにしえの悟者は表の丸木柱と付き合いがあったわけだが、これは悟りに向かう第何段階なんじゃろうか。
はあ?
ぽくぽくぽくぽくぽくぽく・・・ちーん。
みんな真剣な顔で考えていますが答えがない。雲門和尚は
自代云、南山起雲、北山下雨。
自ら代わりて云う、「南山に雲を起こし、北山に雨を下す」と。
弟子たちに代わって自分で答えた。
「南の山には雲を湧かせ、北の山には雨を降らした―――というこっちゃ」
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「碧巌録」第八十三則でした。すばらしい。・・・だが、わけがわからん。
そこで、宋の人、雪竇重顕和尚が頌を点けてくれました。
南山雲、北山雨、 南山の雲、北山の雨、
四七二三面相覩。 四七・二三、面に相覩る。
新羅国裏曾上堂、 新羅国裏にかつて上堂、
大唐国裏未打鼓。 大唐国裏にいまだ打鼓せず。
苦中楽、楽中苦、 苦中の楽、楽中の苦、
誰道黄金如糞土。 誰か道(い)う、黄金も糞土の如し、と。
な、なんと! そういうことでしたか・・・と言いたいところですが、やはりわけがわかりません。
南山に雲が湧き、北山に雨が降る―――それはそのままこの世の真実、
四✕七=二十八人のインドの祖師たち、二✕三の唐土六祖(※)、彼らを目の当たりに見るのと同じ。
(禅宗ではこの34人を経て、オシャカさまから六祖慧能に禅の教えが伝わったという。)
(和尚が弟子たちの前に出て説法する時には、太鼓を鳴らして合図するが)
シラギの国ですでに説法を終えたのに、
こちらチャイナではまだ太鼓を鳴らしていない・・・つもりで見ろ。
(雲や雨という誰もが見えるものからいにしえの悟れる人たちの真意を知るには、矛盾を超越するような精神が必要なんじゃ。)
苦しいときにこそ楽しくて、楽しいときにこそ苦しい、というわけじゃよ。(俗世の外に極楽があるわけではない)
黄金をうんこや土と同じように見なして(黄金を散じて付き合って)こそ真の友情が生まれる、と誰か言ってたよなあ。(現世の価値観を棄ててこそ、この世の真実を見ることができるんじゃ!)
他にもいろいろ解釈していいんですが、とりあえずこういうふうに解釈できるよ、と言っている人(風間敏夫「碧巌集」(1978法政大学出版局)もいますよ。
黄金をうんこや土と同じようにみなして、今日もみなさんと美味い中華が食えた。半分ぐらい誰か出してくれたので安く済みました。ありがたいことである。
この一節を出処にする「黄金、糞土の如し」は有名な語で、そのことは、板垣征四郎が巣鴨で死刑になるとき、教誨師に対してこの一語をひっくり返して「自分は糞土のような人間だが、この罪を背負うことによって黄金のような身になれる」と感謝した、というのでも知られる。
ところで、「黄金如糞土」でグーグルしてみると、肝冷斎の平成21年の、この語を出処とするであろう「揮金如糞土」が出てきました。先々代の肝冷斎はいろいろ勉強していたんだなあ。