2月14日 二日分の感謝の気持ちです♡

閻王頂礼(閻王頂礼す)(「勧善録」)

昨日はほんの少しアルコールを飲んだだけでひどい睡魔に襲われ、夜のノルマを一つも果たせずに眠らされるという体調不良、ないしは呪詛にやられました。おそろしい魔力だ。今日は魔除けが効いたのでしょうか、今のところ体調良好です。ありがたや。バレンタインデーだし感謝の気持ちをこめて今日はありがたいお話を。しかしだんだんと・・・むにゃむにゃ。

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五代のころの雪竇延寿禅師は、

初為余杭県吏、欠庫中銭幾半。有司鞫之、止是買放生用過、不意耗遽如許也。

初め余杭の県吏為るに、庫中の銭の幾(ほとん)ど半ばを欠く。有司これを鞫するに、「ただこれ放生を買うに用いて過ぎ、意(おも)わざるなり、耗のかくばかりに遽かなることを」と。

罪当死、臨刑顔色愉愉、顧謂獄吏曰、現在世放活万万生命、今死去径帰西方、豈不楽哉。

罪死に当たり、刑に臨みて顔色愉愉とし、獄吏を顧みて謂いて曰く、「現在世に万万の生命を放活せり、今死に去りて径(ただ)ちに西方に帰せん、あに楽しからずや」と。

と。

銭王聞而奇之、亟釈其罪。

銭王聞きてこれを奇とし、すみやかにその罪を釈(ゆる)す。

五代のころ、浙江を支配していた呉越国の王家は「銭」氏でした。この王は五代いましたのでそのうちの誰かです。特定できませんが、特に以下の話には影響ありません。

そこで、

遂為僧。

遂に僧と為る。

修行中に、

夜夢観音以甘露灌其口、慧性日明、著万善同帰集数百巻、住持雪竇永明寺。

夜、観音の甘露を以てその口に灌ぐを夢み、慧性日に明らかとなり、「万善同帰集」数百巻を著して、雪竇の永明寺に住持す。

寿至九十八歳、合掌坐化而終。

寿九十八歳に至り、合掌坐化して終われり。

なんというありがたい話であろうか。しかし、これだけではないのだ。

瘞于塔下、有僧毎日繞塔礼拝。人問其故。

塔下に瘞(うず)むに、僧の毎日塔を繞りて礼拝する有り。人その故を問う。

僧は答えて言った、

我因病至陰府、命未尽、放還。見殿角有僧画像一軸、閻王自来頂礼。

我、病に因りて陰府に至るに、命いまだ尽きずして放還さる。殿角に僧の画像一軸有りて、閻王自来して頂礼するを見る。

わたしはかたわらにいた地獄の獄卒に「閻魔王が礼拝されるとは、どこのお坊さんですかな」と問いましたところ、

吏云、此永明寿禅師也。凡人死者、皆経此処。惟寿禅師不経此処、已在西方極楽世界上品上生。王敬其人、図画于此供養。

吏云う、「此れ永明の寿禅師なり。およそ人の死せる者、みなこの処を経る。ただ寿禅師のみこの処を経ずして、已に西方極楽世界に在りて上品上生せり。王、その人を敬まい、ここに図画して供養せり」と。

と。

その後、わたしは生き返りましたが、

以此見好放生者、径生西方、又為陰府所重如此。

此れを以て放生を好む者の、径(ただ)ちに西方に生じ、また陰府の重んずるところかくの如きなるを見たり。

それで、寿禅師さまの功徳にあやかろうと、毎日礼拝しておる次第であります。

ああ、ありがたや。

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伝・宋・秦観「勧善録」(「民間勧善書」所収)より。北宋の文人、蘇東坡の四大弟子の一人とされる秦観の著書、と仮託されていますが、秦観より後の世代の話も入っていたりするので絶対ウソなのですが、いいことをした人にどんないいことがあったか、をたくさん集めてくれた書物です。この人は寿命が長くなる上に西方浄土に行けた、といういいことがあったようです。よかったです。

よかったついでに、いつも休みになると節約のため炭水化物弁当を作って食っておりますが、そのコメが無くなったので今日スーパーに行ってみました。5キロ4000円~5000円と言われてたが、わたしの買うのはそんなに高級じゃないので、2キロ税込み2000円ぐらいでした。大したことないや、と思いましたが、〇〇省が備蓄米放出するので安くなるらしいから、安くなってから買いますわ。明日は輸入小麦のパンにしとこっと。

かえりみれば、賢い人たちが半年放っておいて適正価格にしてくれたんです。生産者はまだまだ高値でいいという。茶わん一杯40円。予算もマジメに議論してくれてるらしいし、ありがたいありがたい・・・と、こんないいこと言ってたら〇楽行けるかも?

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