反在主上(反って主の上に在り)(「土風録」)
こんなこと勉強してたら人生ムダにする、というお手本みたいな勉強をしてみます。

こんなの勉強してるおまえ、バカだな。
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清の時代のことですが、
詆僕隷曰鼻頭。鼻訛作別音。
僕隷を詆るに「鼻頭」と曰う。「鼻」は訛して「別」音を作す。
下僕どもを蔑んで言うときに、「鼻頭」という。この「鼻」は変化して、「別」の音となっている。
「べっとう」という感じですね。
余なんとかさんの作った字書(「余氏弁林」)を見ると、
当是胡語、契丹罵漢児作十里鼻、猶言奴僕也。
まさにこれ胡語、契丹、漢児を罵しるに、「十里鼻」と作す、なお「奴僕」と言うがごとし。
これはそのものずばり、北方民族からの外来語だ。キタイ族は、漢民族をバカにしたとき「じゅうりび」と言う。これは「三下やっこ!」という意味だ。
どうやら唐宋の時代から、「鼻」という侮蔑用語はあったらしい。
或云粧門面。
或いは云う、「粧門面」なりと。
鼻の頭におしろいを塗ったように、表面だけ飾ろうとするからだ、という説もある。
或云豬鼻。善掘地、取生事之義。
或いは云う「豬鼻」と。善く地を掘り、事を生ずるの義を取る、と。
また、ブタの鼻のことだ、ともいう。ブタの鼻は地面を嗅ぎまわって何か異物があると掘り出すから、失敗して事件を起こしてしまうという意味だ、というのである。
だが、
皆臆説。
皆、臆説なり。
全部、いい加減な説ですね。
わたしの考えでは、「復社起略」という本に、次のような説明があるのが恐らく妥当である。
張南郭採以八字頭像人鼻孔、悪之。
張南郭、八字の頭を以て人の鼻孔に像るを採りて、これを悪しとす。
明の張南郭は、「八」の字の頭の部分は人間の顔の鼻の孔だ、という説を取り上げて、これは間違いだと考えていた。
彼の考えでは、鼻はそんな立派なものではない、というのである。
是時奴僕横行、人以為反在主上。呉中読嘴如主音、因借鼻以号奴、故悪之、云云。
この時、奴僕横行して、人はおもえらく、反って主の上に在り、と。呉中に「嘴」(し)を「主」(しゅ)の音の如く読む、因りて鼻を借りて以て奴と号(よ)び、故にこれを悪しとすなり、と云々す。
彼の時代には、下僕たちが好き放題をしていたから、ひとびとは(下僕が)反って主人の上にあるようだ、と言っていた。彼の郷里の呉中(浙江)の方言では、「口」のことを意味する「嘴」(し)を「主」(しゅ)と同じ発音で読む。「主(しゅ)」の上は「嘴(しゅ)の上」と同じになるので、「主の上」のような下僕と、「口の上」の鼻は同じだと言って、下僕のことを「鼻」と呼んで、「鼻」の価値を下げたのである。
・・・とかなんとか。
もしそうだとすると、
然則鼻頭之説、自是吾俗方言、非匈奴十里鼻之謂。
然れば則ち、「鼻頭」の説は、これ吾が俗の方言よりし、匈奴の「十里鼻」の謂には非ざるなり。
それならば、「鼻頭」の語のいわれは、わたしの郷里の方言で説明できるので、匈奴の「十里鼻」のことではないのである。
わたしはブタの鼻説に心惹かれますが。なお、本題とは外れますが、いつの間にか「契丹」=「匈奴」になっています。かなり違うのに・・・。本題でも無いし、まあいいか。
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清・顧張思「土風録」巻八より。なるほどなあ、すっきりした。おもしろかったし、タメになったし、明日からも生きていく励みになったなあ・・・ え? みなさんはこういうのはおもしろくない? でもタメにはなりましたよね。え? タメにならない? でも、ツラい人生を乗り越えていく糧には・・・それにもならない!?

おいらの鼻で何かを掘り出してやるでぶー。
また訪問してくれてる人が増えてるなあ・・・。