樹上有人(樹上に人有り)(「日本往生極楽記」)
服着てたら一回ぐらい木から降りてきてたと思うんです。

高校の時はみんな人民服がいいんではないかと思い、さらに仙界に出入りするようになった今では新聞紙とかはだかが基本である。樽の中で暮らしてますし。
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今は昔、摂津の国・豊島の郡に箕面の滝という滝がありまして、
滝下有大松樹。
滝の下に大いなる松樹有りき。
その滝の下に、大きな松の木がありましたんじゃ。
そして、
有修行僧、寄居此樹下。
修行僧有りて、この樹下に寄居せり。
修行僧が一人、この木の下に暮らしておった。
さて、ある年、
八月十五日夜、閑月明、天上忽有音楽及櫓声。
八月十五日夜、閑にして月明らかなるに、天上忽ち音楽及び櫓の声有りき。
お盆の八月十五日、(旧暦ですからもちろん)満月で月の明るい夜、まわりは静かであった。修行僧が座禅を組んでいると、天上から突然音楽と、それから舟の櫓を漕ぐ音が聞こえてきた。
空耳かも知れません―――と思いきや、
樹上有人、曰、欲迎我歟。
樹上に人有りて、曰く、「我を迎えんとするか」と。
木の上にも人がいたらしく、そこから「わしを迎えに来てくれたのか」という声が聞こえた。
すると、
空中答曰、「今夜為他人向他所也。可迎汝者明年今夜也。
空中答えて曰く、今夜は他人のために他所に向かうなり。汝を迎うるは明年の今夜なるべし」と。
空から答える声が聞こえて来た。
「ああ悪い悪い、今夜は別のやつのお迎えで他所行ってくる途中なんじゃ。お前さんをお迎えするのは、来年の今日(八月十五日)になる予定」
又無他語。音楽漸遠、樹下僧初知樹上有人。
また他語無し。音楽漸く遠ざかり、樹下僧初めて樹上に人有るを知る。
それ以上はもう何の会話も無かった。音楽はだんだん遠ざかって行く。木の下に暮らしていた僧侶は、これで初めて木の上にも人が棲んでいたことを知った。
便問樹上人。
すなわち樹上人に問えり。
そこで、木の上の人に訊いてみた。
此何声哉。
これ、何の声ぞや。
「さっきの音はなんの音だったのですか」
「こんばんは。聞いていたんですか」
樹上人答曰、此四十八大願之筏声也。
樹上人答えて曰く、これ四十八大願の筏の声なり、と。
「えーとですね」
木の上の人は答えて言った、
「さっきのは阿弥陀如来が衆生を救おうとして四十八の願い(例えば「すべての人を極楽に迎え入れなければ、また生まれ変わってくるぞ」など)を立てたのは有名ですが、その願いのことを、浄土に運んでくれる「いかだ」ともいいます。そのいかだを漕いでいる音だったんですよ」
と。
「へー、そうだったんですか」
樹下僧窃相待明年八月十五日夜、至于期日、果如其語。微細音楽相迎而去。
樹下僧ひそかに明年八月十五日夜を待つに、期日に至りて果たしてその語の如し。微細の音楽相迎えて去れり。
木の下に住む僧侶は、誰にも言わずに次の年の八月十五日を待った。その日になると、木の上のひとが言っていたとおりになった。かすかな音楽が聞こえてきて、樹上の人を出迎えると、また去って行ったのである。
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本朝・慶滋保胤「日本往生極楽記」二十三「箕面滝樹下修行僧」。よかったです。お互い会話するけどそれ以上の穿鑿が無いところなど、現世への愛着無く、爽やかな気分さえありますね。ちなみに極楽に行ったのは標題の「樹下修行僧」ではなくて「樹上修行僧」ですが、気にしないでください。阿弥陀如来の本願によって、気の遠くなるような未来かも知れませんが、いつの日かみんな行けるのですから。気にしない、気にしない。